センター試験国語で出題『キャラ化する/される子どもたち』著者、筑波大学 土井隆義先生 入試を語る
~入試問題では問えなかった、若者と教育をめぐる「宿命主義」
2016年1月16日に実施されたセンター試験(大学入試センター試験)の国語の第1問の評論は、「着せ替え人形のリカちゃんは…」で始まる、人間関係において「キャラ」を演じることの意味を論じた鮮やかな論説文で、大きな反響を巻き起こしました。この問題のもとになった『キャラ化する/される子どもたち』(岩波ブックレット)を書かれたのは、筑波大学社会学類の土井隆義先生です。ご専門の社会学の立場から、中高生のスマホ依存や青少年の犯罪の問題についても活発に発言されています。
高校生向け学問サイト「みらいぶプラス」では、現在土井先生と、学問の本の著者である大学の研究者が高校を訪ね、その本を軸に、高校生と対話するというオーサービジット企画を共に進めるなど、学びのあり方について、一緒に考えていただいてきました。
ここでは先生に、ご自分の文章が出題されたことをめぐって、その問題から若い人に伝えたいこと、入試について考えることなどについて、お話をうかがいました。
vol.1 「リカちゃん」や「キティちゃん」がセンター試験に出た
ご自分の文章が出題されているのに気が付かれたのはいつですか。その時のお気持ちを教えてください。
土井先生:センター試験が始まってからです。今回、私は筑波大学でセンター試験の監督員をしました。監督員であっても、試験問題を事前に見ることはもちろんできません。監督員は、開始時間が来て、受験生が解答を始めてから教室内を一回りして、何も問題が起きていないことを確認します。その後、残部をめくってみて、その時初めて目にしました。第一印象は、当然のことながら、まあびっくりしましたね。
「リカちゃん」や「キティちゃん」がセンター試験に出た、ということでかなり話題になりましたね。
土井先生:センター試験の国語では、去年は佐々木敦さんの評論文(※1)が出題されました。これもわりにサブカル系の文章で、「クソリプ(※2)」という言葉が話題になりました。ですから、サブカル系の言葉の出てくる評論は、今回が最初ではないのです。今回は、文章の中身自体ではなくて、「やおい」(※3)とか「メイドカフェ」「リカちゃん」といった単語に引っかかったというか、そこをネタにしてネットで話題になったようですね。
※1『未知との遭遇』佐々木敦:著(筑摩書房)
※2 つまらない・意味のない(=クソのような)返信
※3 男性同士の絆[センター試験・語句注より]。男性同性愛を題材にした漫画や小説、また、それらを愛好する人の俗称。
ご自分で解いてみられましたか。
土井先生:一応やってみました。当日の試験が全て終わってからですが。もちろん、できていましたよ。国語の問題なので語られている文章の中身は問われていませんから、素直な問題だと思いました。きちんと文章を読めば、別にサブカルを知らなくても書かれた文章だけから論旨を読み取ればできる問題だと思いますね。
例えば、問3の答えは2番でしたが、先生の本全体を読むと、選択肢で3番の可能性もあると思いますがいかがでしょうか。
土井先生:本全体の趣旨からすれば3番を選んでも間違いではないと思いますが、3番の中身は出された範囲だけからは読み取れない箇所です。つまり、出題された箇所で言っているのは、昔は人格は矛盾していたらまずかったし、それがアイデンティティだった。それに対して今の「キャラ」の場合は、場面によって矛盾していても構わない、ということを書いている箇所なので、これは2番しかあり得ないですよね。社会的に自立しているかどうか、という話はここからは読み取れないはずです。
今回出題された部分は、この『キャラ化する/される子どもたち』の全体の中でどのような位置づけになっているのでしょうか。
土井先生:本全体は4章構成になっていて、この4章は典型的な起承転結になっているのですね。
※4章の各タイトルは以下の通り
第1章 コミュニケーション偏重の時代
第2章 アイデンティティからキャラへ
第3章 キャラ社会のセキュリティ感覚
第4章 キャラ化したこどもたちの行方
センター試験では第2章から出題された。
この4章全体で一つの主張なので、この本の趣旨からすれば全体を通さないといけないのですが、入試問題としては不可能ですから、これはその中の一つのトピックが出題されたわけです。つまり、かつての人格イメージはアイデンティティによって統合されていた、それが現在は、キャラ化することによって分散化されて、それぞれが矛盾した特性が共存していても構わない、そういう世代が生まれてきている、という一つのトピックを取り上げているのです。
それはそれで面白いかもしれませんし、完結している話なので、構わないと思いますが、いわゆる特徴的な現象の分析で、多くの評論でも出てくる話だと思うのです。
ただし、この本全体として、伝えたかったこと、つまり趣旨はそこではありません。なぜそういう人物像が成立をしてきたのか、ということを考えてみると、それはいわゆる成長物語というものが、今の日本社会全体で成立しなくなってきたこともあり、価値観も多様化してきているわけです。それらもあり、友だち関係を良好に保ち、他者からの承認を得ることこそが、アイデンティティを保つためには、重要になったのです。同時に、自分を守ろうとするセキュリティ感覚も求められるようになりました。だから、現代の日本の社会では、そのセキュリティ感覚が大変高まってきました。そこで、「キャラ」を演じ、友だち関係も保とうとしているのです。
そこでは、なかなか異質な他者を認めることが難しい。その反面、あまりに同質な仲間同士になると、自分もいつかひょんなことから異質な存在になってしまうかもしれない、という危うさをはらんでいます。
その状況に対応していくためには、異質な他者と出会わなければいけないのです。異質な自分に出会うためには、異質な他者と出会っておかないと出会えませんからね。そういう異質な他者と出会うことによって異質な自分とも出会う、いわばその訓練をしておかないといけないのではないか、だから異質な他者を排除し、認めないようにしていくことは、実は、自分で自分の首を絞めているということではないか、ということが本全体で言いたいことなのです。
◆2016年度 大学入試センター試験 国語
◇問題
◇正解
◆2015年度 大学入試センター試験 国語
◇正解
◇高校2年生向けの解説速報講義 動画<河合塾〜菊川智子先生>
---------------------
⇒本での分析に続いて、実際の行動について「みらいぶプラス」読者の高校生に向けて書いていただきました。
---------------------
その他、土井先生のこれまでの記事から
【みらいぶ・連載】 AKBから読みとく今日の人間関係
【今こそ学問の話をしよう〜東日本大震災 復興と学び 応援プロジェクト】
SAVE IBARAKI~機能停止の大学で学生が起こした奇跡