ICTE情報教育セミナーみなとみらい講演

慶應義塾大学SFCにおける情報入試導入までの道のりと実施状況

慶應義塾大学 環境情報学部 准教授 植原啓介先生

なぜ、SFCでは全学生が情報技術を学ぶのか

情報“技術”を知らなければ社会の課題が解決できない

まず、なぜSFCでは、設立された時から情報技術を学ぶことが事実上の必修であるのかについてご説明をいたします。そして、2016年度入試から情報入試を始めるに至った理由、そのためにどのような準備を行ったか、また実際の入試結果についてもお話しいたします。

 

最近、社会ではプログラミング教育の重要性が言われています。各界の著名人からプログラミング教育の大切さを訴える談話も出されています。そこでは「人材育成が国家の将来に必要である」、「コンピュータ科学は一般教養」、「プログラミングを高校や大学の一般教養の必須科目に組み込むべき」などと言われています。また、「IT人材白書」によると、IT企業よりもむしろユーザー企業、つまり一般の企業でのIT人材の不足が深刻であると言われています。現代社会は、もはや情報に関する分野の知識なしには課題の解決ができない時代になりつつあるのです。SFCが一般教養として情報技術教育を始めた背景には、いわゆる情報化社会では、情報技術をある程度知らないと社会の課題を解決できないのではないかという考えがあったからです。

 

この情報化社会の課題はたくさんありますが、まず「知財」の課題が挙げられます。これまで社会はアナログ情報を前提に作られていました。しかし、デジタル化によって安価にコピーができるようになり、また、情報は劣化しなくなりました。このような環境の中で著作権をどのように守るかということを考えなくてはなりません。

 

また、「セキュリティ」は重要な課題です。我々の社会は倫理的に検閲を許す社会になったわけではありません。情報漏洩に対しても、どこまで技術で守れるか、どこから法律で守らなくてはならないかなど、法律づくりに際しても、技術を知らなくては議論もできないのです。そして、「プライバシー」では、個人情報は正しく利用すれば社会的コストを大幅に削減できますが、一方で危険性があるのも事実です。どこまでが許されて、どこからがいけないのかというボーダーを、学生たちには考えられるようになって欲しいと思います。「本人確認となりすまし」の課題としては、マイナンバーの問題が挙げられます。マイナンバーの是非については、曖昧な理由ではなく、技術的議論、法律的議論、社会受容性の議論を各専門家が深く議論し、お互いの情報を交換して最適解を探る努力が必要です。まさにジグソー法です。

 

「安全」、「犯罪・テロ」の問題では、重要なのはインターネットが犯罪を行っているわけではないということです。技術者は安全のための努力をすることが義務ですし、また、新しいツールを手に入れたときの使い方をきちんと教育する必要性もあります。さらに、インターネット上には国境がありませんので、国家を意識しない「グローバルガバナンス」という課題もあります。全世界の在り方を考えルールを決めていくことが必要です。インターネット技術者は、技術だけではなく、社会の在り方も考えられなくてはなりません。

 

ところで、皆さんは震災後の熊本県や熊本市のホームページをご覧になったことがあるでしょうか。震災以来、写真、動画などがない簡素なアクセスの良い、大規模災害モードで運用されています。災害が起きたときのアクセスの集中を予想して、前もって準備されていたのでしょう。災害直後、1日も経たずに切り替わりました。

これは、アクセスが集中してホームページが閲覧できなくなると、自治体としての機能を果たせないと見込んで準備されていたのだと思います。現代では、このように行政機関を始め、全てのセクターが情報技術を知っていなくてはなりません。次世代の問題解決と新しい社会を作っていくために必要な知識とも言えるでしょう。ところで、私はあえて情報ではなく情報“技術”という言葉を使っています。これは、情報教育では情報技術よりも情報モラルや情報フルーエンスに力を入れて行われることもありますが、ある程度の技術については、全ての人に理解してもらいたいと考えているからです。

 

学習指導要領改訂が契機となった

SFC情報入試の導入

SFCでは総合政策学部と環境情報学部の2学部が、同じ試験科目で入試を行っています。旧学習指導要領のときは、数学Bの試験は「数列・ベクトル」もしくは「数値計算とコンピュータ」からの選択となっていました。しかし、学習指導要領の改訂により「数値計算とコンピュータ」がなくなるため、否応なく入試について再検討をすることなったのです。しかし、これは情報入試を導入する良い機会でもあったのです。

 

実は教科「情報」は、SFCのアドミッションポリシーとも親和性が高いのです。アドミッションポリシーの中で、総合政策学部は「問題を発見・分析し、解決の処方箋を作り実行するプロセスを主体的に体験し、社会で現実問題の解決に活躍する事を期待」と記しており、環境情報学部は「ひとつの学問分野にとらわれることなく幅広い視野を持ち、地球的規模で問題発見・解決できる創造者でありリーダーを目指そうとする学生を歓迎」としています。両学部とも、問題発見・分析・解決できる学生を求めているのです。われわれが調べた範囲では、高校の学習指導要領の中で「問題発見・解決」に直接言及しているのは「情報」だけでした。つまり情報で学んでいることはSFCの理念とも合致します。

しかし、まだ歴史の浅い科目のため、高校で学ぶ内容に幅がありますし、学生の能力にも幅があります。また、本当に入試で能力を測定できるのかという心配もありました。しかし、先に述べたとおり情報技術がわからないと現代社会の問題解決はできませんので、少なくとも情報技術を学ぶ意思のある学生を取りたいという考えから、2016年度入試からの情報入試導入を決めたのです。なお、数学と理科については、2015年度から新課程での入試でしたが、この年は新旧両課程の受験生が混在していることもあり、導入を1年先延ばしとしました。

 

2016年度でのSFCの入試は、午前中が「数学」、「外国語」、「数学および外国語」、「情報」から1教科を選択受験し、午後は小論文を受験することになりました。なお、「外国語」の試験はこれまで英語のみで行われていましたが、SFCは設立時から多言語主義を掲げていることもあり、2016年度入試からはドイツ語とフランス語が出題範囲に加わりました。このため、「外国語」の受験パターンは、英語のみ、英語+ドイツ語、英語+フランス語となりました。余談ですが、数学と情報の入試問題は合本されていますので、試験当日になってから、教室でどちらを選択するかを決めることができます。出願書類でも選択教科としては「数学または情報」として同一です。

 

オープンキャンパスで参考試験を実施

実際の情報入試の受験者は約200名

さて、SFCでは情報入試導入にあたって、前もって様々な準備をしていました。その1つが「『情報』参考試験」の実施です。2014年、2015年のオープンキャンパスでは、試作問題を使った参考試験を行いました。実際の入試では試験時間は120分ですが、オープンキャンパスに来た受験生が受験しやすいように試験時間を40分に設定しました。

 

この「『情報』参考試験」実施には2つの意味がありました。1つは受験生に問題傾向を伝えること、もう1つはその問題を受験生がどれぐらい解けるのかをわれわれが知るということです。この参考試験は受験生とのコミュニケーションでもありました。参考試験はペーパーテストでマークシート方式でしたので、この形式で果たして問題発見・解決の能力や論理的思考力がどれだけ測定できるかという課題もありました。そして、この課題は、現在でも継続している課題です。

 

また、この参考試験に加え、情報入試研究会と情報処理学会情報入試ワーキンググループと共同で、マークシート方式ではない試作問題を作り、試験を5回実施するなどして準備を重ねました。

これらの活動の中で、様々な反応がありました。例えば、情報入試によって「学生のモチベーションが上げられる」という意見もありましたが、「これまで自由に教えていたが、入試対策に縛られる」というご意見もありました。このように自由に教えていただくことに対して、われわれは否定する意図は全くなく、むしろ積極的に情報を教えていらっしゃる先生方が授業で教えたことを、学生がきちんと学ぶことができたか確かめたいと考えています。そして、それをきちんと評価できるような手法を開発しなくてはいけないとも考えています。

 

このほか、「英語、数学ではなく、情報で学力を測れるのか」という意見もありましたが、情報の試験ができない人に、果たして次の時代の課題解決ができるのだろうかという思いがあります。また、ペーパーテストで情報の能力を測定できるのかという意見もあろうかと思います。もちろんペーパーテストで測れないものはありますが、そのような問いには、ペーパーテストができないようでは、それ以上のことはできないのではないでしょうか、とお答えしたいと思います。このように、様々な課題があることは承知していますが、それでもSFCとして必要だと考えたからこそ情報入試の導入に踏み切ったのです。

 

最後に、実際の入試結果を見てみましょう。入試結果データは平均点も含め公開されていますが、受験者数は各学部で約100名、延べ数で約200名という結果でした。また、入試問題は、前述の情報入試研究会のホームページで公開されています。なお、入試後のSNSなどの反応も見ましたが、その中には、情報の方が数学よりも易しいという声がありました。実際の合格者平均点を見ても数学よりも情報の得点が高くなっています。しかし、別々に平均点が公開されていることからわかるように、仮に問題の難易度に差があったとしてもそこに大きな意味はなく、弁別ができていれば試験としての役割は果たせていると考えています。

 

今後は、しばらく情報入試を継続し、情報入試で入学した学生がどのような学生なのかを追跡調査し、情報入試の是非について検討を進めていきます。

※ICTE情報教育セミナーみなとみらい(2016年6月25日)講演より