事例233

すべての高校生に「基礎情報学」のエッセンスを

京都市立堀川高校 藤岡健史先生

第11回全国高等学校情報教育研究会秋田大会より
第11回全国高等学校情報教育研究会秋田大会より

私はもともと出身は理工系で、情報学研究科で博士を取得しています。

 

現在、堀川高校で、情報科と数学科を兼任で教えていて、京都大学では、情報科教育法を担当しています。また、教科書作成にも関わらせていただいていて、指導書や教材なども書かせていただいています。加えて、最近は、あまり活発にはできていませんでしたが、学会活動もさせていただいていて、委員にも声を掛けていただいています。今回、全国高等学校情報教育研究会全国大会にご参加の先生方とも、また一緒にいろいろなお仕事や研究をさせていただければと思っています。

 

 

令和4年度~共通必履修科目「情報Ⅰ」開始

 

本日の大会の基調講演等でもありましたが、いよいよ令和4年度から「情報Ⅰ」が始まるということで、私も非常にテンションが上がっていて、いよいよ来たなと思っています。

 

新聞等でも報道もされていますので、先生方もいろいろ記事をお読みになったかと思います。スライド左側の記事には、「新高1は新科目『情報Ⅰ』必須 共通テストに出題も」と取り上げられています。中身を見ますと、学習指導要領の改定で、プログラミングなどを学ぶ「情報Ⅰ」が必須科目となった、「プログラミング言語を活用し、計算誤差の原因と問題点を考えさせる授業ができる」と文科省の教員研修教材に記されていると紹介がされていて、「プログラミング」、「計算誤差」というようなワードが出てきています。

 

右側の記事をご覧いただきますと、高校1年生の必履修科目「情報Ⅰ」の「プログラミング」や「データの活用」などを学ぶ授業に、東京都の小池都知事が都立高校を訪れたと記事で出ていました。視察されたのが、高校1年生の必修科目の「プログラミング」と「データの活用」といったワードが出ていますね。

 

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私自身も情報科学の出身ですので、「プログラミング」や「計算誤差」や「データの活用」などが出てくるということで、非常にわくわくするこの1年なのですが、先生方は、このような別の新聞記事をご覧になったことはありますでしょうか。『日本経済新聞』の3月23日付けの、「情報教育、基礎教養から データ処理偏重が課題」という内容の記事です。

 

東京大学名誉教授の西垣通先生から、「『情報教育』が加速している。2022年度から高校でプログラミングなどが必修化。共通テストでも情報が必須科目になる。だが、より深刻な問題が手つかずのままだ」と指摘がされています。どういった深刻な問題なのかというと、「必要な文理融合ができてない。内容がプログラミングなどの理系のデータ処理に偏り過ぎている。学者も含め多くの人々が、『情報』というものの全体を見ようとしていない」ということです。

 

では、どうすればよいのかということについては、「情報の本質を正しく理解するのが第一である。情報は生命活動から生まれる」といった指摘をされています。

 

私はこの記事を読みまして、足元をしっかりさせないといけないと指摘されたと思っています。つまり、この「情報の本質」というところですが、「そもそも情報とは何か」ということがわかって情報の授業を組み立てていくことが非常に大事である、ということです。現在、いろいろな問題がありますが、情報分野の抱えている領域は、非常に広いと思っています。

 

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「情報」の本質について考える授業を

 

例えば、ウクライナの問題だったり、コロナの問題だったり、宗教の問題だったり、AIの問題だったり、いろいろな問題があります。これらの問題解決を扱っていく情報という科目は、非常に重みがあると思います。

 

そういう意味でいうと、西垣先生は、『新 基礎情報学』(※1)という著書の中でも、情報教育の幅広さを踏まえた上での、「情報」の本質を教えなければいけないということを、非常に強い口調でおっしゃっています。「情報」というのは、生物にとっての意味作用を起こすということや、コンピューティングだけに特化しない「サイバネティック・パラダイム」というものをご紹介されたりしています。私も情報学を勉強するにあたって、情報の本質というものをしっかり勉強しなければいけないと教育されてきました。「情報Ⅰ」の中身をつくっていく上で、教員はこういったことをしっかり勉強していくことが大事なのではないかと思います。

 

 ※1 https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002518.html

 

また、西垣先生は「『情報=コンピュータ』という狭い公式」とかなり強い口調でおっしゃっています。それが高校の現場でどれだけ当てはまるかは、別の議論が必要かと思いますが、こういった指摘がされているということは、この場でご紹介させていただきたいと思いますし、私も肝に銘じております。

 

 

本大会の基調講演の中でも紹介されていましたが、日本学術会議から2016年に、「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 情報学分野」、それを踏まえて2020年には、「情報教育課程の設計指針 初等教育から高等教育まで」が出されています。まだお読みでない方は、ぜひ読んでみていただきたいと思います。

 

 

簡単に、2016年の参照基準の中身に触れます。情報学は、いわゆるコンピュータで処理される情報と、社会におけるコミュニケーションで用いられる情報といった二つの側面があります。

 

下の青枠部分でいいますと、イ・ウのいわゆる情報科学的な部分と、エ・オの社会との関係の下にある部分です。この二つを対立的に捉えるのではなくて、これらを共通に理解し統御するための普遍的な原理が必要であり、これを「情報一般の原理」として、この学問分野の上層部に位置付けることが大事である、と書かれています。

 

この後、説明しますが、西垣通先生の書かれた、「基礎情報学」の入門書『生命と機械をつなぐ知』(※2)という著書の中でも、情報一般の原理が、コンピュータで扱われる情報と、社会におけるコミュニケーションで扱われる情報の、両方の架け橋になるような理論として、いわゆる基礎的な情報学の理論「基礎情報学」が紹介されています。

 

※2   https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023455555-00

 

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これを踏まえた「情報教育課程の設計指針」では、情報教育における分野をどう設計するのかという指針が出されました。ご覧のとおり、各領域が出ていますが、コンピュータの仕組みや、プログラミング、データの扱いといった情報科学的な部分と、コミュニケーション、メディア、情報社会といった、社会的な部分の両方にまたがる形で、情報一般の原理がちゃんと入っています。

 

この「情報一般の原理」に関わる部分を捉えている教科書は、高校の情報の教科書の中では、私は1社しか見つけられていません。そういった内容を、これから取り込んでいくべきだと思います。教科書には、検定があったり、あるいは次の学習指導要領改訂となると、5年、10年といった長いスパンの話になってきたりしますが、例えば、これから大学入試センターが作っていく大学入学共通テストの問題、さらにそれに向けた問題集や模擬試験、または、受験業界さんが作っているようないろいろな教材などに、この情報一般の原理をどんどん入れていくと、生徒さんは勉強することができます。

 

そうすると、学習指導要領を変えたり、教科書を新しく作り変えたりということだけではなくて、コンピュータの部分とコミュニケーションの両方を支える、その理論的な部分の下支えを、子どもたちに自然な形で伝えていくことができると考えています。

 

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学習指導要領的に言いますと、「情報の本質」という言い方ではなくて、「情報に関する見方、考え方を働かせる」というのが、一番最初の土台にあります。これこそ、「情報とはそもそも何なのか」といったことを理解することが基礎・基本であるということにつながります。

 

「情報=コンピュータ」ではないよ、ということ、例えば生徒さんが、「コンピュータ嫌いやし、情報苦手やわ」みたいな感じにならないよう、本当の意味での情報ということをしっかりと教育していくなかで、本大会の鹿野先生の話にもありましたが、例えば、ダンスの表現も実は情報につながっていく、という説明もできます。こういったものを、情報の授業の中に少しずつでも取り入れていくことが大事なのではないか、と思っています。

 

 

すべての高校生に「基礎情報学」のエッセンスを

 

今回は一部だけ、授業の中身を紹介します。私は『生命と機械をつなぐ知』を、2013年から読み込みましたが、こちらは授業のやり方が書いてあるわけではなく、「基礎情報学」の入門書です。この内容を、いろいろな先生方と一緒に研究もしながら、少しずつ自分の授業の中に入れていきました。失敗したり、うまくいかなかったりしたものもありますが、毎年やっていて、これはいいぞと残った2つに絞ってお話しします。

 

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一つ目は、3つの情報概念についてです。

 

情報には「生命情報」と「社会情報」と「機械情報」という3つの概念があります。「生命情報」は、人間だけではなく、あらゆる生命が生きていくために必要なものです。「社会情報」は、人間がコミュニケーションする上で使っている言語やピクトグラムなどです。「機械情報」は、一見、言語やピクトグラムのようなもので表現されていますが、意味が抜け落ちてしまってわからないものです。わかりやすく言うと、例えば、私の理解できない言語で書かれている文学作品も、私にとっては「機械情報」となります。この3つの情報概念を、しっかりと授業で教えていきました。

 

「生命情報」について、授業で最初に言っていくことは、インフォメーションの語源です。「in(内部に)+form(形成する)」ですので、いわば、生命の内部に形成されるもの、これがインフォメーション(information)です。すなわち、「情報」というのは、生物に個別に生じる主観的なもので、その生物内に蓄積された経験や歴史をもとに「情報」が生じているため、誰が見ても同じといった客観的に存在するのではない、ということを伝えます。

 

先生方の中にも、タイポグリセミアやシルエット錯視を、授業で扱われている方もいるかもしれません。タイポグリセミアは、文章中のいくつかの単語で、最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまう現象です。スライドのQRコードから例文をご覧ください。日本語に慣れている生徒や私たちは、エラー訂正を瞬時にできて、情報が頭に入ってきます。しかし、例えば英語で書かれているものだと、瞬時には直せません。こういったことからも、私たちはこれまでに経験してきたものをもとに、情報が生じていることがよくわかります。

 

その他にも、シルエット錯視は、例えば、スライドのQRコードから見ていただけるものは、女性のスピニング・ダンサーのものですが、右回りと左回りのどちらに回っているように見えるかというものです。右脳左脳が関係している話のような都市伝説もありますが、右回りに見えるような、補助線のラインを入れた後に同じシルエットを見せると、直前に見えたものに影響されて右回りに見えてしまいます。このように、実は人間は直前に見たものに影響されて、情報を処理していることがわかる、といったことを授業で扱ったりもします。

 

これ以外にも、ピクトグラムの授業は、先生方もされていると思います。これは、「社会情報」の中に位置付けられます。

 

また、コンピュータでは、最終的には0・1のビット列にしていろいろな計算を行いますが、これは、あくまで、「社会情報」のうち「意味」が欠落した「機械情報」という位置付けになり、コンピュータが扱えているのは、この「機械情報」だけであるということを説明した上で、データ量の話を授業で扱います。

 

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コミュニケーションを教えるときも、「基礎情報学」で出てくるコミュニケーションやメディアのモデルの話を使います。例えば、漫才を生徒に見せて、そのコミュニケーションの分析をさせてから、表現の選択のデザインとして、どう笑いが起こっているのかを分析させたりしています。

 

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最後に、先月私の授業で取った各生徒の振り返りの抜粋を紹介します。

 

 

ある生徒は、「情報は便利なものでもあるけども、扱いに気をつけなければならない。主観的なものなのに客観的に見せかけるところが、この情報の一番ややこしいところだと思った」と言ってくれて、これは非常にいい指摘だと思いました。

 

 

また、例えば、LINEなどのSNSは、彼ら彼女たちにとって、すごく身近なものですが、そこで起こるコミュニケーションの誤解は、実は、この情報の3つの概念で、きれいに説明することができます。

 

そういうことを説明することによって、単に情報モラル的に「これは駄目だよ、気を付けなさいよ」だけではない、もう一歩奥に突っ込んだ、本当の意味での科学的な理解につなげることができると思います。

 

 

この生徒は、「他の人とコミュニケーションを取るときは、自分の伝えたい言葉やジェスチャーにさえすれば、そのまま相手に伝わるだろう、と軽く考えるのではなく、どうやったら誤解のない伝え方ができるのか、一つ一つ使う言葉を選び、伝える手段を選び、より自分の気持ちや意見が伝わりやすくなるように工夫することが大切。相手に話をするときに、一方的に進めるのではなくて、コミュニケーションの基礎・基本を活かしていく」と言ってくれていて、「基礎情報学」の重要性が伝わっているのではないかと期待しています。

 

 

あと、この話は実は情報科に閉じた話ではありません。情報科に近い数学や公民はもちろん、他の科目の先生方とも話をすることが非常に大事だと思っています。

 

世界史の教員からは、こういったものの見方が、資料の史料化、すなわち、MaterialからTextと持っていったときに、その意味は、まさに「生命情報」として情報を捉える、ということにつながっていくということで、「目から鱗」の思いでした、といった言葉をいただきました。

 

 

こちらがまとめです。「基礎情報学」のエッセンスを伝えることで、生徒の反応は確実に変わりました。そして、コンピュータ一辺倒の現在の教科「情報」から、情報教育全体のさらなる拡大・再編に向けて、これからも「基礎情報学」を様々な場面で取り入れていきたいと考えています。

 

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[質疑応答]

 

Q1.この論文の中では、「情報の本質は生命であり、生命のないところに情報はない」ということになっていますし、先生のご講演の中にも理系的なものだけではなくて、情報はもっと幅広いとおっしゃっていましたが、その辺にお気付きになられた、または、そういったことを高校生に伝えていこうと先生が思われたきっかけなどを聞かせてください。

 

A1.藤岡先生 情報を教えるにあたって、「情報とは何か」というのが、初めに生じるといいですよね。私は数学も教えていますが、「数とは何か」というところから、授業が始まっていきます。自然数だったり整数だったり、それから有理数だったりと数が発見されていく、という歴史の話をします。子どもたちは「数とは何か」を考え、そして、それを通じて考えることを行ってくれます。

 

「情報とは何か」と考えることは、非常に大事なことだと思います。毎日の生活で、いろいろなメディアが、いろいろな情報を流していたり、逆に情報を隠したりということが生じていることは、私たちはどこかで聞いています。そして、それが誰にとっての情報になるのか、または、ある人にとっては情報ではないかもしれない、ということも日常的に生じています。そういった意味での情報というのと、情報と聞くと「コンピュータの授業ですか」と言われたりする、そこの部分でギャップがありますよね。

 

情報は、そういう授業ではなく、もっと幅広い意味である、ということを、どうしても伝えたくて、そのためには私も一から「情報とは何か」ということを、しっかり勉強した上で教壇に立たなければならないと思います。数学の教員としては、数学をしっかり勉強しますから。ただ、そこの学問は、かなり抽象的な部分も多く含まれています。哲学の勉強も必要かもしれません。そういうことよりも、コンピュータを教えることや、もっとこういうことを教えるほうがいいのではないか、とどうしても行きがちだと思います。ですが、先ほど紹介しました、西垣先生のこの『生命と機械をつなぐ知』を、ぜひ、一度お読みいただきまして、そこから、授業のヒントを得ていただくと、授業が本当に変わります。

 

それによって、生徒の反応ももちろん変わりますし、ちょっと大げさかもしれませんが、その授業を受けて世の中に出ていった生徒たちは、情報というものに関するものの見方自体が変わっていくと思います。そこは大きい力を秘めていると、確信しています。ぜひ、先生方、一緒に勉強していければと思っています。

 

第15回全国高等学校情報教育研究会全国大会(オンライン大会) 分科会発表より