事例279
「情報科」で南極と日本を結ぶー南極地域観測隊(JARE)に参加して
日出学園高校 武善 紀之先生
まず自己紹介です。私は千葉県市川市にある私立日出学園中学校・高等学校で、情報科の教員を9年しています。好きなものはペンギンです。情報科に関しては、「情報Ⅰ」の教科書の執筆等にも携わらせていただきました。
webページ(※1)で過去の実践等も公開しております。
※1 http://high.hinode.ed.jp/share/takeyoshi/n_takeyoshi.html
早速ですが、私は2021年11月10日から2022年3月にかけて南極に行ってきました。旅行ではなくて、南極からZoomで授業をするというプロジェクトの一環です。今日の発表は情報科の授業の中身というよりは、情報科の教員がこういったProjectに参加した、というお話としてお伝えすることができればと思います。
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教員南極派遣プログラムとは~初の情報科教員として参加
私が南極に行ったのは、「教員南極派遣プログラム」という事業の一環です。これは国立極地研究所が主催していて、極地の科学や観測に興味を持つ現職教員を南極の昭和基地に派遣するというプロジェクトです。年間で2名、小学校の先生と中高の教員が各1名で参加することが多いです。
私もこれに採択されて、衛星回線を利用して、現地から南極授業をさせていただきました。情報科の教員は初ということで、授業はかなり情報科に寄せてみました。
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選考は、1次が書類選考で、ここで授業案を2本と帰国後の活動計画を提出します。その後に隊長経験者と面談をします。面談後に冬期総合訓練に参加をして、冬山訓練をします。この冬山訓練をした後、確かに心身ともに健康であるとされたらその年の観測隊に参加するのですが、私の場合、ちょうどコロナ禍とぶつかってしまいました。緊急事態宣言のため、派遣が中止となってしまったので、再度の冬期総合訓練を経て、2年越しで南極に派遣されるとことになりました。
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観測隊・南極の話
観測隊と南極に関する話を少しだけさせていただこうと思います。
南極観測隊は「しらせ」という観測船で40日間かけて南極に行きます。道中では、このスライドのような大きな荒波を越えたり、氷山を見たり、それから白夜という、太陽が沈まない現象を見たり、オーロラを見たり、そしてペンギンに会ったりしました。
「しらせ」は自衛隊の船なので、毎週金曜日には本当にカレーも出ます。
今度は南極の様子です。南極というのは一面氷だらけのイメージがあると思いますが、実際の南極の野外はどんなところかと言いますと、実は氷だけではないところも意外に多いのです。日本の観測隊は露岩帯といって岩だらけのところにもよく行きます。ペンギンのルッカリー(繁殖地)も見ることができました。
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観測隊が南極にいるうちに滞在するのが昭和基地です。この昭和基地も、雪と氷というよりはまさに土煙の中にあります。私も含めて夏に行った隊員は、土木作業のようなことを現地でいろいろやります。この基地を、観測の拠点として維持していくためです。ドリルで足場を作ったりとか、除雪作業をやったり、安全帯をつけてアンテナの補修をしたりしていました。
基地ではインターネットも使えますが、インテルサット衛星を使った回線で、基地全体で4Mbpsという状況なので、1人当たり18kbpsくらいの速度が出ればましかなという状態でした。
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情報科と南極の関係、事前準備~実は南極と情報科は非常に相性がよい
このあたりで、情報科が南極とどう関係するかについて話したいと思います。現地でもしょっちゅう言われたのが、「自分たちの頃はそんな教科はなかった」とか「WordとExcelしかやらなかったけど、今は何をやるの」ということで、やはり情報科という教科がまだまだ浸透してないとことを痛感しました。
そこでよく説明に使ったのが、こちらのスライドです。
南極というと、理科の教材につながるものがたくさんある、というイメージですが、実は情報科も負けてないくらい教材がありますよと。
なぜなら、人間が自然を探索するときは、必ず技術を通してその要素を捉えます。未知のものを切り拓いていくのは「技術」なのです。
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加えて、南極ではたくさんの技術者が仕事をしています。南極観測隊の構成員には、研究部門の人だけでなく、設営部門の方々もたくさんいらっしゃいます。それどころか実は、全体の半分くらいは、基地を維持するこの設営部門の方々で、医療や調理、通信などの専門家が、1~2人ずつ来られています。
南極観測事業というのは、多くの技術と技術者が集まる「技術」の結晶なのです。これは情報科と非常に相性がよいのではないかということで、授業を作ってみました。
出国前にもいくつか事前準備をしました。その一つとして、KDDIの方が南極の衛星回線の管理をしているので、その観測隊の訓練に同行して、施設見学をさせていただきました。
また、生徒が身近に感じるようにmicro:bitで、南極の観測を模擬体験できるような装置を作って、現地に持っていきました。
さらに、通信を身近に感じてもらうために、南極と日本の両方にAlexaを置いて、日本の生徒が「Alexa、南極のカーテンを開けて」と指示をすると、南極の装置が動くといった環境を構築してみました。
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情報科と南極~「技術」もまた本質であるということ
こういった準備を進めて現地に行ったのですが、やはり現地では日本で考えていたこととはいろいろ違ったことを感じました。
南極に行って一番思ったのが、南極というフィールドでは、自分がむき出しになることです。
ネットもほぼ使えない。お店もない。「先生」は自分しかいませんし、生徒もいない。「南極は新しい何かを得る場所ではなく、今までの自分を振り返る場所だ」と言われる方もいて、とにかく「自分とは何だろう」ということをひたすら突きつけられました。
これを授業の視点で捉えると、何のために教員がわざわざ南極に来ているのか、を目の前に突きつけられたことになります。これは、今まで派遣された方も悩んだことであると思います。
加えて、「もし『情報』の授業が1時間しかなかったら、情報科として自分は何を教えたいのか」というのが強く問われる場であるとも感じました。
その中で、南極授業は「授業」というよりは、外面や評価、完成度にかかわらず、10年後に見て恥ずかしくない「作品」として仕上げようと考えました。
そう考えたとき、情報科ではよく「コンピュータはあくまでツールである」とか「コンピュータを活用して問題解決を学ぶ科目だ」と言いますが、果たして本当にそうなのかという疑問が生まれたのです。
学校だと情報科や技術科の先生はたいてい1人ですが、南極では多くの人と技術の話ができます。技術者の方と交流し、技術を通していろいろ試行錯誤したことや新しく知ったことは、純粋に楽しいと感じました。
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一緒に参加した観測隊の方々だけではありません。昭和基地という場所にも技術視点の価値があります。昭和基地とは、普通に考えたら、明らかに人が生きていけない環境を、60年以上にわたって、いろいろな技術者たちが、とにかく試行錯誤して作り上げた場所なのです。
昔は使われていたけれど、今は使われていない設備もあります。例えば、観測用ロケットの打ち上げ棟です。今は人工衛星技術に取って変わられてしまったのですが、そういったものもあちこちに残っていて、技術の歴史が身近に感じられ、さらに周りも技術者がたくさんいるという環境で、「技術というのは単なる道具だ」という伝え方をあまりしたくないと感じるようになりました。
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南極観測というと、メインは観測で、あくまで技術者はサブ、みたいなところもあります。あるベテラン技術者の方には、「南極から『技術』の授業をしたいだなんて、とんでもないやつが来たと思ったよ」とも言われました。こういった中で考えたのが、「技術もまた本質だ」ということをしっかり伝える授業でした。
この授業ネタの1つとして、例えば私は日本と南極の間でずっと生徒と交換日記をつけていました。「繋がることの嬉しさ」を生徒達には実感してもらいながらも、「この裏側には人工衛星技術というものがあって、これを作り上げた人たちのおかげで、繋がれているんだよ」ということに、さらに気づいてもらおうということをめざしました。
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南極授業~南極のすばらしさでなく、コロナ禍でいろいろなものを諦めがちな生徒たちへのエールとして
南極授業は合計2回行いました。日本と南極を結んでYouTubeライブを同時開催して、Slidoでコメントを集めることも並行して行いました。授業は、とにかく技術推しで進めました。
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最初に、南極一般の話に続いて、目に見えない設備として通信を説明。その後に、Alexaでカーテンを動かしてみました。これは面白いですが、でも何の役に立つのか、という話になります。ここから、人工衛星を利用するとたくさんのことが分かるという、観測技術の話に繋ぎました。
でも、これも突き詰めると、「だったら別に現地へ行く必要はないのでは」となります。これを受けて、実は現地で観測装置や基地の保守・管理をする仕事がすごく大事なんだよという話をして、最後に技術を通じて好きなものを追求している技術者の方々に出演していただき、技術について熱く語っていただく、という流れを組んでみました。
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授業では、こだわったポイントがいくつかあります。
1つ目が、とにかくたくさんのガジェット(技術)を出して、目の前に見えているものとして技術に感動してもらおうと思ったことです。実際に自分で新型重力計を持ってきてくれた隊員は、その重力計をバラバラにして、その仕組みを説明してくださいました。
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2つ目は、たくさんの技術に関わる人に登壇してもらったことです。技術やものだけではなく、技術者自身にも会ってほしいと思いました。作る人だけではなくて支える人、守る人、その技術を使う人が出て、皆がつながっているということを見せてみました。
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最後3つ目が、教員としての視点からのこだわりです。教員以外の人が授業をするとなると、どうしても南極の魅力を伝えることになると思います。しかし我々は教員なので、教員の視点から物事を伝えたい。その中で見えたのが、南極の魅力や自然の崇高さではなくて、実際の生徒のことでした。
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ちょうど私が派遣されたのがコロナ禍の最中で、生徒はいろいろな夢を諦めがちなときでした。頑張ろうという言葉がけも、毎日のようにメディアで繰り返されていました。
そこで、授業では「頑張ろう」みたいなことはあえて言わずに、技術者の人たちも悩みながら進んでいるとか、ただ好きなものを追求する姿勢でここに来ているとか、あるいは君たちは秋葉原に行けばすぐパーツも買えて、今すぐ楽しいことが手に入ったりもする、自分たちの身近に楽しいこと、できることはあるよ、といったところを強く出して授業をしてみました。
この辺りのことを伝えるにも、「技術」というテーマは、非常に良かったかなと思っています。事後アンケートの自由記述では、「技術をテーマにすると最後は人に行き着くことを知った」とか「子どもも普段意識しないインフラの大切さを感じていた」といったコメントをいただくことができて、非常に良かったかなと思っています。
帰国後の情報科教育~「コンピュータは道具」でなく「コンピュータと友達になる」
最後に、帰国後の情報科教育について思っていることをまとめて、終わりにしたいと思います。
情報科では「コンピュータは問題解決の道具だ」ということをメッセージとして出すことが多いですが、授業では極力この言い方をしないようにして、「コンピュータと友達になる」「コンピュータは問題解決のパートナーだ」という言い方をするようにしています。
そうやって生徒たちにコンピュータに愛着を持ってもらっている状態だと、その裏側で働いている技術者の存在もまた浮き彫りになってくると思うのです。「人・技術・技術を作る人・支える人」という図式が、1年間の終わりに実感してもらえるようになるといいな、と思って授業をしています。
ここまで足早でしたが、情報科のことも南極のことも、自分のウェブサイトでは詳しくまとめていますので、詳しいIoT実験の様子とか、作った環境計測装置の様子は、ぜひウェブサイト(※2)を見ていただければと思っております。
※2 http://high.hinode.ed.jp/share/takeyoshi/n_takeyoshi.html
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私自身、初めて情報科の教員として南極へ行ったので、実際はできなかったことがたくさんありました。
現地で意味のあるデータを取れなかったこともありますし、IoTの実験も「だから何?」で止まってしまった部分もあります。ただ、南極観測隊での情報科の知名度は確実に上がったと思いますので、ぜひ65次、66次では情報科2人目の観測隊員が続いたらいいなと思っています。
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最後に僕が南極で撮ってきたペンギンの写真です。たくさん見ることできました。
第85回情報処理学会全国大会 イベント企画「第4回初等中等教員研究発表セッション」より