新学習指導要領における教育の情報化の位置付け
東北大学大学院 情報科学研究科 堀田龍也先生
2.新学習指導要領の求めること
教育の情報化の背景にあるもの
次の学習指導要領については、中教審(中央教育審議会)で議論になったことを中心にお話ししますが、今までお話ししたいろいろな実践とつながっています。
中教審はメンバーが何百人もいる非常に大きな組織で、総会の下に様々な部会があります。今回の中教審では、この図の下の方にある教育課程部会で、カリキュラムマネジメントやアクティブラーニング、社会に開かれた教育課程といったことが議論されました。一方、そのすぐ横の教員養成部会では、大学で教員免許を出す時の教科教育法でICTの利活用を教えなければならないということになり、教員免許を出す認定はこれをきちんと教えている大学に限る、ということになりました。ですから、現在大学の先生たちの中で教科教育法を教えている先生方は、国の再認定を受けることが必要になりました。
また、その上の初等中等教育分科会では、現在進んでいる教員の若返りによって教員資質の向上をどうするのか、学校制度の見直しをどうするのか、さらに高大接続に耐え得るような学習の基盤となるような力を小学校・中学校の義務教育でどう育てるか、などといったことが議論されました。大学分科会では、大学入試をCBT(computer based training)にすることによって、学習機会や試験を受ける機会を増やそうということも検討しています。CBTを導入することで、一人ひとりの解答に合わせてその人の能力を見極めるために最適な問題を出す項目反応理論(IRT:Item Response Theory)が可能になりますので、それが大学入試でも実用化される可能性が高くなるといった議論がされていました。
そして総会では、少子高齢化やAIといったことが話題でした。このグラフは国土交通省の統計による我が国の人口です。鎌倉幕府の時代から始まっています。江戸時代も享保の改革までは少しずつ増加して、そこから明治維新までは安定していました。そして明治になってから激増し、終戦直後少し下がりますがここから増加の一途をたどり、そしてピークを迎えたのが、14年前、2004年12月です。2018年現在、私たちは人口のピークを過ぎてどんどん落ちていく時代になっています。
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2050年のところが黄色で示してありますが、今から32年後、今の小学校1年生が40歳手前で社会の一線で働いている頃、日本の人口は約9500万人になります。これは終戦直後、1950年頃と同じです。しかも、人口が増えていく時は子どもの数が増えますが、減っていく時は、子どもの数は増えずにお年寄りばかりが増えていくのです。医療技術が進んでいるので、みんな長生きするようになった結果、2050年は人口が減っていても65歳以上が約4割で、労働人口は激減するわけです。これを支えていくのが、今の小学生、中学生です。こういう時代になることを見据えて、上り調子の時に育った私たちの考え方や学校・学習の枠組みで子どもたちを育てていいものだろうか、という議論なのです。
人が学習するとはどういうことかという、ベースとなる学習心理学のような部分は変わらないと思いますが、身に付けるべき能力はおそらく変わっていくでしょう。AIが出てきていろいろなことが自動化する時代に、それを便利に享受するだけでなく、任せるべきところは任せ、人間でなければできないところを、あるいは次のAI開発をやっていくのが人間の仕事という、その人材をどうやって小学校・中学校から育てていくか、ということが議論になっています。
こちらも最近よく出てくる「第四次産業革命」の説明です。現在は第三次産業革命で、いろいろなものがプログラムで動いて自動化していますが、それがさらに高度化して、そのデータを使っていろいろなことが再利用されていく時代が第四次です。例えば、私たちがコンビニに行って何かを買うとレシートが出てきますが、そこにはあなたの年齢や購入履歴に合わせたクーポンが出てくる、といったものです。現在でも、例えばインターネットで何かを調べると右側に広告が出てきますが、それもすべてあなたが見る頻度が高いところから出てきています。
このように高度に個人にカスタマイズされた情報が、ユーザーの私たちには無自覚に提供され、その結果私たちは便利に過ごせているのですが、これに対して本当無頓着で、何も知識がなくよいのか、ということです。こういう時代になったら、どういう仕組みでそうなっているかをわかっている方が、便利で合理的に使うことができるのではないか、ということが議論になりました。
資質・能力の三層構造
そこで中教審では、「『学力』という言葉では矮小化した能力のイメージを持たれるので、これからは学力と言わずに『資質・能力』と言いましょう」ということにしました。この資質・能力というのは三層に分かれていて、そのうちの一番は大事なのは基礎となる「知識・技能」です。これは一番大事なので最初に書かれています。そして知識は「習得」、習って得るものですから、誰かに教えてもらいながら練習して身に付けることが基本です。ただ、それを教わってわかった、というだけではダメで、それがその学習者によって活きて働くようにするにはどうしたらいいか。心の底から「そうか」と思い、その使い方に自分の力を応用するような、知識・技能の深め方が大事だということになります。
二つ目は「思考力・判断力・表現力等」。「等」と入っているのは、この三つではなくなるかもしれないという予兆ですが、今のところ、この三つを育てることになっています。これらは「育成」です。これは、今日何かを考えることによって身に付けた力が、いずれ新しい状況に適用されるようになる、転移することを前提とした思考力・判断力・表現力を身に付けさせなければいけない、ということです。当然これは繰り返し練習して慣れることも必要ですし、それによって新しいものに対しても自分から「あの時と同じように考えればいいのではないか」と思えるような学習者にならなければいけません。
日本の子どもは、昔から先生が出してくれた問題を解くという能力は非常に高いですが、自ら学ぶ学習者としては今一つ弱いと言われてきています。「答えは何ですか」「どうすればいいですか」をやたらに先生に聞いてくるのですね。みんなが同じことをやらなければいけない時代はそれでよかったかもしれませんが、これからの時代は、誰かに聞けば済むようなことはたいてい自動化されますから、誰にも聞けないし、聞いてもわからないということを、あなたならどうするかということを考える時代になります。
三つ目の「学びに向かう力・人間性」は、今のこととも関係しますが、自分が学んだことを自分の人生や自分の生きる社会や周りの人に還元していくような考え方や態度です。これは「涵養」、じわじわと養成されていくようなものとされます。
つまり、今まで「学力」と一括りにされていたものが、短期的には一番上の「知識・技能」、中期的には真ん中の「思考力・判断力・表現力」、人生のような長いスパンで考えると一番下の「学びに向かう力・人間性」という、時間軸が違う三つの層になっています。
新しい学習指導要領では、これらを『資質・能力の三つの柱』という言い方にして、各教科の中で、例えばこの教科の5年生のこの内容は、この部分が「知識・技能」で、この部分が「思考力・判断力・表現力」で、この部分が「学びに向かう力・人間性の部分」です、と書き分けたのです。短期的な内容では、三つ目の「学びに向かう力・人間性」がないところもありますが、少なくとも「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」はほぼすべて書かれています。次の学習指導要領が厚くなったのは、そういうことなのです。
教科書はこれに沿って検定されますから、きちんと教えて理解させなければならない内容、それらを使って考えさせる内容、そして私たちはこれからどうしたらよいのかディスカッションしたりするような内容と、うまく色分けされた教科書になっていくだろうと言われています。
情報活用能力が学習の基盤となる能力に加わった
こういったことを議論していくにあたって、子どもたちの能力で問題になるのが、「うまく読み取れていない」ということです。文章を読むのは国語科ですが、表を読むということになると、数字の表を読むのは算数で教わるけれど、歴史年表のようなものは国語なのか算数なのか、あるいは社会なのか、となるわけです。社会では表の読み方の基本などは教えないのに、突然教科書に出てきて読み取らせるという設定になっています。これは、少し前に読解力を幅広くとらえて、非線形テキストの読解も学ばせなければならないというのが話題になりましたが、まさにそれに当たります。
ネットで情報を得ようとすると、そこにあるのは文章や図、写真等であって、そういうものが読み取れなければ、出てきたものが情報になりません。出てきたものが何かよくわからないけれど、とりあえずそれを貼り付けるというのは、学習としては非常に浅く、もっと言えば学習にもなっていないことになります。
こういったものを情報活用能力といいますが、この情報活用能力が次の学習指導要領では学習の基盤となる資質・能力の一つに加えられました。この「加えられた」というのがポイントです。
学習の基盤となる能力としてはまず「言語能力」があります。これは、言葉の力が豊かな方が学びがうまく進みますから、多くの人が昔から賛成だと思います。そして「問題発見・解決能力」は、「ここが今問題だから調べてこうやって解決して、解決したかな?解決したな」という手順を踏んで確かめながら考えることで、このように問題解決にはサイクルで考えることが大事だ、ということは少し前からありました。それを授業の中に、どうやって・どのようなサイクルで持ち込むかは、現在授業研究が進んでいるところです。
そして、この二つの間に「情報活用能力」というものが割って入ってきています。情報活用能力というのは、ありていに言えば、必要なICTをうまく使って、そこから得られた情報を適切に読み取って整理して、場合によっては適切に保存して再利用できるようにして、使わなければならない時にいつでもうまく使えるようにしておくことです。使わなければならない時というのは、プレゼンであるとか、レポートを書くとか、あるいは実際に何か新しいことを考え出す時もあるでしょう。こういった自分の情報活用がうまくいっているか、もっとこうしたら便利ではないか、と考え続けることも情報活用能力に含まれます。
言語能力などと同じように、情報活用能力が高い方が学習は効率よく進むでしょう。例えば、アクティブラーニングをさせたい時、まず個人で調べて、その後みんなで話し合おうという計画を立てておいても、調べ方がわからなければ時間はどんどん押してしまいます。また、検索しても上の方しか見ていない人は、おそらくうまく読み取れないまま、「何かわからないけれどこういうことが書いてありました」で終わってしまって、学習としては極めて浅いものになってしまいます。情報活用能力の高い子どもは、教科の内容や今日の授業のポイントと合う情報をいち早く見つけて、様々な考え方を出してくるでしょうね。情報活用能力が学習の基盤として機能するというのは、まさにそういうイメージです。
大人である私たちでも、職種・業種にかかわらず「仕事ができる人」というのは、うまく情報を集めて、うまく情報を整理して、うまく情報を伝えることができます。そういう人が、たまたま銀行の仕事をしていたり、たまたま法律の仕事に就いていたり、たまたま学校の先生だったりするわけです。職能はいろいろ専門性があるにしても、その基盤になるのは、この情報活用能力は基盤の一つでしょう、という発想です。
教科の授業の「ついで」ではなく、情報活用能力を取り出してでも育てることに
ですから、今までは「教科の授業の中でついでに情報活用能力も育ったらいいよね」と言っていましたが、今後は情報活用能力は取り出してでも鍛えて、さらに教科の中で繰り返し同じようなことをやって鍛えるべきだ、ということになったのです。こうしてだんだん子どもたちに任せて、彼らの情報活用能力を使って自己調整的に学ぶような場を作り、学びをさらに深めていくことを目指します。先生は、そのために必要な基本的な知識や技能をわかりやすく提示して、あらかじめしっかりと教えて、生徒が知識や技能を使う時間をできるだけ作る。そういう授業スタイルへの変化が必要になっているということになります。
国は学習指導要領に入れるにあたって、本当に情報活用能力が基盤となる能力であるとしてよいのかということを、いろいろ調査しました。例えばこれは「情報活用能力調査」と言って、小学校・中学校・高校に対して全国から3000人とか5000人を抽出し、CBTで行ったものです。ここからいろいろなことがわかりました。例えば、WEBサイトのあるページに書いてあるものから答えを見つけることはできるけれど、いくつかのページを見ないと答えが出ないようなものの正答率は著しく低いというものがあります。整理された情報を読み取るのはできますが、いくつかの情報を絡めて検討するというのになると途端に正答率が下がるというのはある意味当たり前で、これは紙でも同じであると思います。
しかし、私たちは生活のあらゆる場面でネットで調べることが多くなっています。そういう時、検索ページの最上位にあったからといって、そこに書いてあることが正しいとは限りませんから、いくつかのものを見て当てはまるものを考える必要があります。これはそういう判断込みの能力ですが、子どもたちはそれができていないということが分かります。これはどの学校種でも同様です。
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この情報活用能力調査は、学力調査でいえばA問題・B問題(※)のうちのB問題をICTで行っているイメージです。そうすると、ICTを使ってふだんこのような問題を経験している学校かどうかで結果が全然違ってきます。個人差はもちろん大きいですが、学校差が著しく大きいのです。各学校のカリキュラムで情報活用能力を育てるためにどのような活動をしているかというのは、カリキュラムマネジメントの問題ですが、それによって子どもたちが身に付けられる情報活用能力は決定的に違ってしまうという現実が浮き彫りになりました。
情報活用能力は基盤になる能力であるので、社会のいろいろな人に手伝ってもらってカリキュラムマネジメントを充実させ、しっかりと育てましょうと、今文部科学省はいくつか研究開発を行っています。
※学力テストのA問題・B問題
A問題 基礎的・基本的な知識・技能が身に付いているかどうかをみる問題
B問題 基礎的・基本的な知識・技能を活用することができるかどうかをみる問題
この調査では、ブログで起こりそうなトラブルの危険を予知させるような問題について、キーボードを用いて答えていく、という問題が出題されました。出題のねらいは、危険の予知ができるかどうかというところにあったのですが、そもそも時間内に解答をキーボードで時間内に入力できない子が結構いました。これは、CBTが大学入試に入ろうとするご時世に、キーボード入力で認知負荷がかかっているようでは、入試で相当不利ですよね。
学習指導要領は2020年に小学校、2021年に中学校、2022年に高校が変わります。2022年の高校1年生が高校3年生になる2024年に、大学入試がすべて新しく変わります。今の小学校5年生です。ですから、小学校の先生方にとっても大学入試は他人ごとではありません。皆さんが育てた子どもたちが、新しい大学入試を受けるのです。キーボードはしばらく集中して練習すれば、その後ずっと使えるようになるのですから、早めにできるようになっておいた方がよいでしょう。
小学校の学習指導要領の総則には、『児童がコンピュータで文字を入力するなどの学習の基盤として必要な情報手段の基本的操作を習得』ということが明記されています。ここにも「学習の基盤」ということが書いてありますね。コンピュータに限らずいろいろな情報手段を操作するということは、将来エキスパートにならないとしても、基本的な部分は学習の基盤になるスキルなので、ちゃんと身に付けなさい、ということです。これは各教科の仕事ではなく、各教科の中でうまくやることも含めて、総則としてカリキュラムの中で各学校がきちんとやってくださいよという話なのです。
学校教育法の「デジタル教科書の認定」は大きな政策の転換
5月25日の日経新聞に、「学校教育法が改正されてデジタル教科書が認定された」と書かれていましたが、教科書というのは日本の教育制度の中では非常に重要な位置を占めています。検定の教科書というのは、世界中でもそれほど数が多いわけではありません。これが戦前のように国定だとちょっと危険だということで、検定教科書になりました。学習指導要領で教えるべき内容を国家レベルで決めて、それを民間の教科書会社が教科書を作り、それが学習指導要領に合っているかどうかを検定し、市町村の実情に応じて採択する、というのが現在の日本の教科書制度です。
しかも義務教育においては小学校も中学校も無償供与で、教科書代として年間で約412億円を国が負担して児童・生徒に配布しています。この次に学習指導要領が変わると教科書が厚くなり、ランドセルに入れて通学するには重いじゃないかと、最近よく話題になっていますが、今の教科書制度がある限り、紙の教科書は当分なくなることはありません。
学校教育法で書かれているのは、教科書は年中使わなければならないということではなく、教科書を使って教えるというのが我が国の学習指導の基本であるということです。今回の法改正は、そのある時期に子ども用のデジタル教科書で学んだ場合でも、教科書を使ったと見なすことができる、ということです。今までは教科書は「書物」であって、書物以外を認めていませんでした。学校教育法ができた頃は、書物以外の媒体がなかったからです。それが今、デジタルで書物に代わるものが出てきたので、読み方を変えてデジタルも認めることにしましょう、ということになったのです。
学校教育法は、憲法の下に教育基本法があり、その下にある法律ですから、相当大きいものです。それくらい大きな法律を改正してまでデジタルも認めることになったのですから、これは大きな政策の転換です。
そのデジタル教科書を、今後どのように授業で使えばいいのかということに対するガイドラインの検討会の第1回の会合が、昨日6月8日に開かれました。この検討会では、12月に報告書を出すことになっていますが、そこではデジタル教科書をどのように使うとよりよい授業になるか、より効果が高まるか、より情報活用能力が身に付くかを検討していくことになります。ぜひ、注目してください。
ガイドラインが策定されると来年、平成31年からこれを使用することができるようになります。すでにタブレットを導入しているところでは、デジタル教科書を入れて入れるだけですので、今後市場も急速に拡がっていくでしょう。
この他にも、教育の情報化については、下図のようにいろいろなことが同時並行的に変更になります。世の中が情報化しているので、教科情報にとどまらず、学校という組織そのものが情報化する必然性があるということです。
算数・数学の領域が再編され、データの活用が大きな柱に
もう一つ注目すべき点として、算数・数学の領域の再編があります。小学校の算数と中学校の数学の四つの領域の一つを「データの活用」として再編しました。少し前まで「資料の整理」という言い方で、中学でやったり、高校に行ったり、また中学に戻ってきたりしていました。扱いも、どちらかと言えば学年末の入試の前のあまり時間がない時に慌ててやるという感じだったのですが、今回は小学校・中学校を通した大きな領域となりました。ビッグデータが使われて生活がどんどん便利になっていくということを知っておかなければなりませんし、算数・数学の中でもデータの読解力をきちんと育てていきましょう、ということになりました。主幹教科の一つである算数や数学の領域として大きく認められたのは、大きな教育改革であると思います。
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さらに一昨日、6月7日の新聞には「早稲田が攻めの入試改革」という記事が出ていました。早稲田大学の政治経済学部で、2021年から数学を含む共通テストを導入するということです。早稲田の政経と言えば、文系のトップクラス学部ですが、この入試に、センター試験から変わる新テストを入れるのです。国が作った試験問題で数学などの力を見て、他の部分は独自試験の記述問題でしっかり見よう、ということです。文系だから数学が要らないとか、データのことがわからなくてもいいとかいうことは全然なく、むしろこれらの力は文系の方が必要だという認識です。早稲田の政経が変わると、たぶんいろいろな大学が追従することになると思います。
小学校のプログラミング教育が目指すもの
このことは小学校の学習指導要領にも関係しています。今回、小学校の学習指導要領の総則にプログラミングのことが入りました。こちらについて、文部科学省が「小学校のプログラミングの手引き」(※)を3月末に出しましたが、それをぜひご覧になってください。
まだ実践が十分に蓄積されていないので、今のところこれは一つの指針に過ぎません。学習指導要領の各教科でも、6年生の理科の「電気」や4年の算数の「多角形」のところにプログラミングを使うことが書かれました。これは教科書検定の対象になるので、今後、教科書にプログラミングのページが載るというふうになるでしょう。そうすると理科の豆電球の回路のようなプログラミングをする時の一人ひとりの教材が、これから出てくることになると思うのです。
この背景を言えば、日本は先ほどお話ししたように労働力が激減する時代ですから、おそらく介護などについても、ロボットを使うことなしには考えられないのです。そのロボットは、左側のようないわゆる人型のものではなく、介護の姿勢を楽にする補助器具やAI化した義足といったものも含めたいろいろな形で私たちの生活を支援するものになっていくのでしょう。
また車の車庫入れなども自動運転でできるようになっています。これから高齢者が増加していく時、判断力が鈍った彼らが安全に交通社会を生きていくための様々な支援機能が発達していくでしょう。
私たちの社会は、科学技術に支えられながら動いているのですが、それは誰かが作ったプログラムによるものです。エアコンが、部屋の中で動いている人とそうでない人を見分けて風の当て方を変えるというのは、センサーとプログラムで動いている機能です。最近家庭にも普及してきたお掃除ロボットも、誰かが作ったプログラムに従って動いています。
私たちは、先ほどの自動運転車から身近な自動販売機も含めて、様々なテクノロジーの粋があふれる社会で生きています。その中にあって、それらがどういう仕組みで動いているかを、ある程度理解をしながら使っていけるような人材を育てていかなければなりません。
それは高校の教科情報や中学の技術家庭科でやることですが、小学校でもプログラミングの体験をして、プログラムで動いているものが身の回りにたくさんあるね、プログラムを作るのはけっこう大変だけど面白いねということを知ったり、またうまく動くプログラムを作った人は相当すごいねというリスペクトを感じたり、といった目線を小学校の時に育てようというのが、小学校にプログラミングが入った理由です。
プログラミング教育がまるで2020年に初めて始まるように報道されていますが、高校や中学にはすでに行われています。小学校に初めて入るということに過ぎないのです。小学校では、やはり小学生ですから、体験的に学ぶということからは外れません。またその目的は、プログラミングをしてプログラマーを育てるということではありません。プログラミングを体験して、プログラムはこういうふうに作られていて、その思考の仕方をある程度理解し、世の中がそういうもので支えられているという社会の見方を育てるということになります。
小学校のプログラミング教育の6つのパターン
文部科学省は、小学校において行われるプログラミング教育を6種類に分けて、これに従っていろいろな形で分類を始めています。まだこれは始まったばかりなので、それぞれがどのように違うのかは、人によっては若干混乱が見られますが、始まって1年2年経つと時間が解決してくれるものだと思います。
私はこの中で一番重要なのは、Cの「各学校の裁量により実施するもの」だと思います。いきなり教科に位置付けるというのは結構ハードルが高いので、とりあえずプログラミングの授業をやってみて子どもたちの様子を見て、「来年からは算数のここでこれをやれば発展で使えるよね」となったらBの「学習指導要領には例示されてはいないが、学習指導要領に示される各教科の内容を指導する中で実施する」でやってみるというのが、現実的かと思います。
大学入試にもプログラミングが入って来るのか
今は小学校の話をしましたが、2020年に始まる新しい大学入試にプログラミングを入れてはどうか、というのが『未来投資会議』で議論になっています。先ほど早稲田大学の話をしましたが、こちらも文系理系に関係なく、プログラミングは必要な力だ、これをCBTでやるということで共通テストに入れてはどうかということが話題になっています。『未来投資会議』というのは、総理大臣直轄ですので、つまり文科省ではなくもっと上の政府が言っているということです。この間、政府は「大学入試の科目に情報を入れましょう」という方針を出しました。具体的には今後文部科学省の専門家会議で詰めていくということで、何か忙しくなりそうな予感がするのですが、そういうことをやっていくということですね。
情報科、プログラミングが入試に入るということの意味は大きいです。日本では、だいぶ変わってきたとはいえ、入試科目にないから勉強しなくていいというようなことが、まだまだ言われます。これは大学の先生方がよくご存知ですが、今は子どもの人口が減って、進学希望者と大学の受け入れ人数がほぼ同じですから、入試は選抜というよりもお見合いみたいなものになっているのですね。ですから、大学は入学試験やカリキュラムのポリシーを明確にして、そこでほしい人材像を明確にした上で、そういう人をどうやって集めるかという形に今は変わっています。そして、どうやって集められたとしても、育てられた人たちはいずれ情報社会を支える人材になっていくのだから、教科情報の入試はこれから必要でしょうね、ということが議論になっているのです。まだこれは決定ではありませんが、大きな流れになっています。
つづく