第16回全国高等学校情報教育研究会全国大会
情報教育の今日的な役割と課題
東北大学情報学研究科 東京学芸大学教育学研究科 堀田龍也先生
私は、もともと東京都の小学校教員からスタートしました。その後大学に移って、今はクロスアポイントメント制度(※1)で、ご覧の2つの大学で勤務しています。
※1 研究者等が大学、公的研究機関、企業の中で、二つ以上の機関に雇用されつつ、一定のエフォート管理の下で、それぞれの機関における役割に応じて研究・開発及び教育に従事することを可能にする制度。[経済産業省HPより]
研究大学の大学院に所属すると同時に、全国で最も大きい教員養成大学におりますので、その中でこれからの小学校から大学までの情報教育はどうあればよいかということについて、いつも考えています。
また、文部科学省の視学委員も含めて、いろいろな委員会などに関わらせていただいています。今日も、今までいろいろなところでお会いした高等学校や大学の先生方がたくさんいらっしゃっていて、すごい熱気を感じています。
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情報教育の「今日的な」課題とは~「情報モラル」は単なる生徒指導案件ではない
今日いただいた演題は、「情報教育の今日的な役割と課題」というものです。「今日的な」というのが、ポイントだと思います。
情報教育は、「情報活用能力」の育成を目指した教育である、というのが文部科学省的な定義です。現在の「情報活用能力」という言葉の定義は1997年のものですが、この定義がまたよくできています。
まだ携帯電話も一般的でなくて、インターネットが学校にようやく1回線来るの来ないのと言っていた時代に、よくこんな定義を作ったなと感心するほどです。
そのため、いまだに定義自体は変わっていませんが、解釈はいろいろ変化しています。実際、ツールが変わったり、活用の仕方が変わったりするので、その意味では、考え方は同じであっても、対応の仕方がいろいろ変わっているということです。
その情報活用能力をしっかり育成するのが情報教育で、これは各教科等で横断的に行われる、というのが小学校・中学校・高等学校での前提です。ですから、情報活用能力のうち非常にライトな部分、具体的には、いろいろなことを学ぶときに情報集めるとか、情報を整理して表にまとめるといったレベルの活動は全ての教科等で行います。それでも、中学校、高等学校と上がってくると、やや専門的な情報学に近いことを理解する必要があるということで、現在高等学校には「情報Ⅰ」が必履修で置かれているということになります。
こういったことは時代の要請であり、さらに大学入学共通テストに「情報I」が入るといった状況からわかるように、多分情報教育の歴史の中で、今が最も追い風の時期かと思います。もちろん課題もあります。今日はそういったお話をしたいと思います。
これについては、今年6月に別のところで講演をしたものが、「キミのミライ発見」に詳しい記事になっています。今日の話と重なるところもあると思いますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
※2 https://www.wakuwaku-catch.net/kouen230701/01/
私たちが教えるべきことは何か、ということで、まず皆さんもご存知のX先生のFacebookの写真を題材にお話しします。なお、X先生には事前に使用のご快諾をいただいています。
Facebookに限らずSNSはいろいろあって、トレンドはだんだん移り変わっていきます。今Facebookの利用人口の中に、高校生はほとんどいません。彼らはFacebookからInstagramへ、さらにTikTokへと、どんどん変わっています。
しかし、個別の機能は少しずつ違っても、SNSというカテゴリーの技術的なことや概念はきちんと教えなければいけないと思います。なぜなら、誰もが日常的にSNSを利用しており、今後もっと日常化すると考えられるからです。
X先生は、Facebookでご自身の日常的なできごとを毎日配信しています。「友達」の私たちは、先生がどこへ行ったのか、何に乗ったのか、誰と会ったのか、ということも逐一わかります。
このように自分の生活をSNSで発信してよいのか、という議論があります。このX先生のケースはやってよいことだと思いますが、子どもたちに「できること」と「やってよいこと」は違うということは、教えないといけないでしょう。写真を撮ってコメントを書いてSNSに載せることは誰でもできますが、それをすると他のところに影響がある場合がある。もっと言えば、自分にも影響が来てしまうということは、きちんと知っておかなければなりません。
これは、政策用語でいえば「情報モラル」に区分けされる教育内容ですが、情報モラルというのは、技術や仕組みのことがわかっていないと、自分がやったことがどのように影響するのか、理解することができません。その意味で、やはり情報技術の内容を理解することが必要です。
その上で、やってよいかどうかを決めるのは本人です。オウンリスク、つまり自分でリスクを取ってやるのですよ、ということを教えなければいけない。そして、社会問題になっているバカッターのように、一つ間違えば自分ではリスクを取りきれなくなるときがあるということを、考えさせなければいけないと思ます。
X先生は、Facebookの投稿では、いつもコワモテのお顔で写っています。私たちは、X先生が本当は優しくていい人だと知っていますが、知らない人がこの写真を見たら、「怖い人だな」と思われるかもしれません。X先生がどのような自己表現をされたいのかについては、この後講演していただきたいくらいですが(笑)。
Facebookでは、「友達」のタイムラインの投稿が自分のタイムラインに流れてきます。私は、X先生と「友達」になっているので、先生の投稿を見ることができますが、世の中には、「友達」ではない人の投稿は見られないのかとか、自分が知らない人に見られてしまうことはないのか、といった技術的なことを、よく分からないまま使っている人もけっこういると思います。そういったことをきちんと教えておかないと、友達にだけ見せているつもりで、実はたくさんの人が見て炎上してしまうということはあるでしょう。
このように、いつも楽しませていただいているX先生のSNS一つからも、子どもたちにきちんと教えて、考えさせなければならないことが見えて来るわけです。
情報技術を知らないと、SNSトラブルが生徒指導案件になる、というのは結構あるように思います。そして、「情報モラル」という政策用語が、「モラル」という言葉が付いてしまったがために心の問題のような形で受け止められ、実際は正確な知識がないために起こっているのに、「もっと態度をこうしなさい」と言ってしまう。だから、子どもたちに指導が入っていかない、ということになりかねないのです。
私たちは今、小学校・中学校・高等学校を通して情報教育を進めていますが、とりわけ高等学校の「情報Ⅰ・Ⅱ」の教育内容というのは、生徒たちが今まで学習や生活の中で身に付けたスキルややり方を体系化するものものであると思っています。
体系化するというのは、体系を一からゴリゴリ教えるのではなく、「君たちが今やっているこのことには、こんな技術が使われているんだ。実際どこまでやってよいのかを考えるために、もう一回勉強してみよう」という感じ、いわば「分かり直す」という学びが、高等学校の情報科の大きな役割ではないかと思います。
きょうはこちらの4つについて、特に2番目、3番目のあたりを中心にお話しします。
GIGAスクール構想は約5000億円かけた、国の相当強力な政策ですが、これによって小学校・中学校では、全ての子どもたちに端末が行き渡りました。まだ格差はありますが、ガンガン使っている学校では、授業のあり方や先生方の指導が完全に変わって、子どもたち情報活用能力も変わってきたと感じられます。
そういった様相をお話しした上で、では先生方は、このような学びを経験した子どもたちを高校生として受け止めるご準備はありますかといった話ができればと思っています。
学びに対する大きな変化~「情報」が変化に追従しなければならない理由
まず「学びに関する大きな変化」で言えば、現在はVUCA( Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)の時代であると言われます。要は、今までずっと同じようにやってきたことが、この先同じようにできるとは限らない、予測不能な世の中である、ということですね。
学校というのは、どうしても前例主義で、前と同じことをずっと続けることで、安定を保ってきた組織です。
そのため、何か変えることに対しては大変おっくうで、実際に変えてみないと結果がどうなるか分からないのに、「本当に変えて大丈夫なのか」と延々話し合っているうちに時間切れになって、とうとう今年も変えられなかったということが往々にしてあります。
そして、校長先生が変わったら、また一から同じ議論をする。石橋を叩いて叩いて、とうとうひびが入って渡れない、となりがちなのですね。ただ、最近リーターシップが重要だと言われていますし、変わり始めた学校はどんどん新しいことができるようになっている。変化の激しいこの時代に、学校が変化しないというのは、むしろ大きなリスクになっていると思います。
他の教科に比べると、「情報」は変化に追従せざるを得ない、また追従しやすい教科であると思います。
ご存じの通り、世界の人口は爆発的に増え続けています。特にアフリカやインドあたりの人口がすごい勢いで増えており、インドの人口はすでに中国を抜いて世界1位になりました。そういう状況の中で厳しくなるのが食料生産です。
食料生産が厳しくなると、農業にどのようにテクノロジーを使うかということが課題になります。
最新のテクノロジーは、社会の大きな課題の解決に利用されるので、食糧増産のためにゲノム解析や遺伝子組み換えが使われるようなります。そういった技術が分からないと、例えば「遺伝子組み換え食品は危険ではないか」と不安に感じる人が出て来る。もちろんリスクはゼロではありませんが、一方でそういった食品を使わないと人口増に対応できないということもあります。
だから、バイオテクノロジーのような技術や学問の人気が上がるということになります。
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一方わが国は、急激な人口減少期に入って15年以上経ちます。そのため、他の国に比べて人手不足が深刻になっています。現在の豊かさを保つためには、人手による解決はもう無理なのです。
だから、ロボットと共存したり、プログラムでできる仕事はできるだけデジタルに置き換えたり、とせざるを得ないと状況であり、高等学校で「情報」が必履修になっているのです。
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先生方は、そういった大きなミッションを背負っていただいているわけですが、このことをぜひ高校生にも伝えていただきたいと思います。
先ほどの話で言えば、少し前までは農業の専門高校と情報技術は、別もののように語られることが多かったですし、情報関係の専門高校というのは工業高校の一部にあると見られていましたが、今やあらゆる専門高校が情報技術を用いるようになりました。
これは農業の例ですが、無人のトラクターで耕したりドローンで農薬散布したり、といったことを、センサーとロボットを組み合わせた技術で、プログラムで動かしています。さらに今はここにAIが入ってきています。
先生方は、直接農業の指導をされるわけではないかもしれませんが、こういった写真を生徒たちに見せて、この中のどの部分であれば自分たちでもできそうか、社会に貢献できると思うかといったことを、ぜひ問うてみていただきたいと思います。
そして、各教科の指導内容と、そこで今勉強していることが、自分の将来や世の中の変化にどのように関係するのか、ということを伝えていただければと思います。
さらにわが国の国力、特に経済的な部分は非常に落ちています。2000年頃は、1人あたりGDPはトップクラスでしたが、どんどん下がって、今や30位近くです。いわゆる先進国というのがOECD加盟国だと考えると、OECD加盟国は38か国ですから、その中の30位といったら、もはや5段階で2くらいの位置です。
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わが国は素晴らしい国で、非常に安定していて、経済的にも全然大丈夫、みたいな時代では、残念ながら、もはやないのです。
この背景には、いわゆる「失われた20年」、特にデジタル化に遅れてしまったがために、産業が新しく作れなかったという歴史もありますし、国民性として同調圧力が強いのに加えて、100%でなければダメというところがあり、VUCAの時代という現状を認めきれていないことがあります。
このような状況の中で、「AIに自分たちの仕事が奪われる」という話が出てきますが、一方で、AIを使う仕事はどんどん出て来るわけで、その意味で情報科に対する大変熱いニーズがあるということになります。
先日文部科学省の方とお話ししたとき話題になったのは、今、国が大学に情報系の学部・学科を作ることに対して、ものすごくお金を出していることです。これは情報科の教員をどんどん輩出することにつながると思いますが、高校生から見れば、進路として情報系の選択肢が広がるということでもあります。「情報」が入試に入るというのは、今のような話と関係している話だと思います。
キャリアチェンジが当然の時代だからこそ、自ら学び続ける姿勢が必要に
新入社員に、「この会社で何年くらい働きますか」と聞くと、約5割の人が「10年以内には辞めます」と言っている、というデータがあります。
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これは、考えてみれば当たり前のことで、変化が激しい時代ですから、終身雇用という制度はもはや公務員だけといえるでしょう。そういう意味では、今や仕事を変える、キャリアチェンジというのが常識的なことなのです。
一方で、学校の先生は割合終身雇用に守られているので、「頑張ればいつか花が咲く」的に考えてしまいますが、今の若い人はもっとドライで、今の仕事はいつでも捨てて、スキルとキャリアを積んで次に行く、くらいの考え方なのです。
そうすると、資格試験の勉強のために自分でオンラインで勉強する、ということも出てきますから、学習体験・学習スキルとして、動画やwebで学ぶ、ということが身に付いている必要があります。それなのに、学校現場では昔の授業の仕方から変えられず、紙の教科書で学ばせたり、先生の話を一斉にしっかり聞かせたりすることに躍起になっていると、いずれ子どもたちはひどい目に遭ってしまうことになります。
ですから、授業の一部をオンデマンドで行うとか、自分の指導を動画にして、それを子どもが選択的に学ぶ、といった経験は、こういう時代に生きていく基礎体力を付けさせる意味でも、非常に重要であると思います。現行の学習指導要領では、「学力」というと、どうしても狭い感じになってしまうので、「学力」というのは、測ることができる範囲で使う言葉として、これからの時代に大事なのは、もう少し広い意味の「資質・能力」という言い方をしています。
非認知能力などの研究が進んだことと関係があるかもしれませんが、要は、勉強して知識を身に付けることに矮小化せず、学ぼうと思う気持ちや、学ぶスキル、学び続けられるタフさ、多少の失敗で諦めることなく、もう一度チャレンジして解決できるまで試行錯誤できるといったことが、最終的には学びの成果を決める、ということです。
極論を言えば、これからは義務教育や、高校時代に十分に学びきれなかった人も学び続けられる社会になりますし、学びのリソースはいろいろなところにあります。そうであれば、あとはその人に学ぶスキル・学ぶ意欲があるかどうかが、その人の人生を決めることになります。
つまり、最終的には「学び続けられるかどうか」ということです。ですから、「情報」の授業も探究的に行うことが大事なのです。
「資質・能力」はこのスライドの3つの柱で整理されています。こういったチャートで一番大事なことは、たいてい一番上にありますが、そこに「学びに向かう力」が書かれています。VUCAで、人口減少で、キャリアチェンジが当たり前、という時代に生きていく高校生が、何を最も重視して育てられるべきかを考えると、「学びに向かう力」を高等学校の、「情報」の授業の中にどのように埋め込んでいただけるか、ということは、とても大切なことであると思います。
もちろん、「学びに向かう力」というものは、1時間の授業で評定・評価できるようなものではありませんが、逆に子どもたちが先生方の姿勢を見て、「先生も学んでいるんだ。僕も学ぼう!」という感じになっていけたらよいかと思います。
生成AIの登場は、教育のあり方そのものを問い直すきっかけに
また、ここ数か月大きな話題になっているChatGPTについて、文部科学省でもガイドラインを作りました。
ガイドラインの作成に取り組まれた方はお分かりかと思いますが、「やってもいいけど、あれもこれも気を付けなさい」ということで、正直やるのやらないのか分からない、みたいな内容になっています。でも、いろいろな人の意見を聞くと、どうしてもあのように玉虫色になるのですね。中には大反対の声もありました。
大反対の声というのは、たいていが日頃ICTを使っていない人からのものです。えてしてChatGPTを使ってもいない人が、「こういうのは良くない」とおっしゃって、結局同調圧力と言うか、声の大きい人が言ったことに、皆が追従してしまうということがあります。
こちらの記事で、赤線のところに私の発言が拾ってあります。ここでは、「対話型AIが出てきた。これをどうやって授業で使うか」ではなく、「こういったものが出て来て、人間をどんどん助けてくれる時代になって、教育の内容はこのままでいいのかという議論だと思う」ということを述べました。
例えば、国語で夏休みの宿題に読書感想文を書かせますが、そもそも読書感想文とは何なのか、宿題にして書かせなければならないものなのか、ということを考えなければならないということです。
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これからは、対話をしながらよい文章を作るということが非常に重要になります。さらに、その相手が生成AIだとすれば、それをうまく使えるスキルを身に付けるのは、むしろ望ましいことです。
考えてみれば、Googleで検索できるようになったときに、「こんなものを使ったら、すぐ答えを見つけてしまって、考えない人が出て来るから禁止した方がいい」という人がたくさんおられました。今は、むしろ上手に検索するスキルが求められる時代になりましたし、そこで出てきたものは、何らかの知識のデータに過ぎないわけです。そして、その出て来たものが、あなたが今抱えている問題の答えなのかと言えば、必ずしもそうではないのです。
ですから、答えが一つに決まることが勉強だと思っているうちは、確かにChatGPTで答えさせるのは良くない、ということになりますが、今や世の中は複雑なことばかりで、答えが一つに定まらないことの方が多いです。そのような時代に、では入試とは何かといった議論にもつながる話になると思います。
それぞれの生成AIで、直接使用できる年齢制限には違いがありますが、例えば小学生向けに自由研究について相談するChatGPTのサービスが始まっています。ChatGPTはカプセル化されてるので、子どもには使っていると思う必要はありません。
ですから、実質はChatGPTを使っているけれど、直接ではないので年齢制限はあまり関係ないことになります。今後は、便利だから毎日使っていたら、実はAIが入っていたとは知らなかった、ということがしばしば出てくるでしょう。
だからこそ、それをブラックボックスにしないで、「これってどういう仕組みで動いてるんだろう」と考える姿勢こそが、今先生方が教えてらっしゃることの根本的なところではないかと思います。
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ここまで、先ほどのアジェンダの「1. 学びに対する大きな変化」のお話をしましたが、要するに世の中の大きな変化とともに、求められる資質能力が変化しています。そこにはテクノロジーが非常に深く関係しています。しかし、学校という組織(そこには文部科学省も含まれます)や教育制度が十分対応しきれておらず、どうしても後追いになりがちです。後追いになるというのは、まだ前例がなくて決まっていない段階で誰かがやらないと、制度というものにはならないということです。ただ、制度ができてからやるのでは遅いのです。
ですから、制度ができるまで待ったり、あるいは許可をいただいてから動いたりしようとするのではなく、今のうちから先生方の中でいろいろ相談したり、実証的な試みを進めておいたりするのがよいと思います。そこで優れた実績が出れば、それが制度の構築につながるでしょう。実際にやって見ながら考えたり、改善したりしていくことこそ、変化が速い時代に対応するコツではないかと思います。
GIGAスクール構想による学びの変化~小中学校は「義務教育はこれを無償とする」が大前提
さて2番目のGIGAスクール構想による学びの変化のお話をする前に、日本の初中等教育制度について確認しておきます。
小学校6年間・中学校3年間が義務教育ということになっていて、憲法で「義務教育はこれを無償とする」ということが定められています。給食費は無償ではありませんが、義務教育の教育費、つまり授業料のようなものは、子どもや保護者からは徴収しない、というのが無償供与の意味です。例えば教科書は主たる教材として無償配布されますが、この教科書代は1年間で約450億円かかっています。
また、小学校や中学校は、市町村が設置者となって、必要な学校を設置します。設置者は現在約1800ありますが、どうしても格差が生じることになります。高等学校の設置者は県か法人となります。
そして、教育課程の基準を定めた学習指導要領があります。これを基に、各学校が教育課程を編成することになります。さらに、教科書はどれを使うのかとか、教科書以外でも有用な教材は使用可能であり、これは受益者負担で教育委員会が承認するといった原則が、いろいろな法律に書かれています。
現在、高等学校への進学率は95.5%、大学も56.5%と非常に高くなっています。つまり、小学校・中学校のみならず、高等学校や大学も全ての子どもを受け入れる方向に向かっていることになります。
ということは、高等学校も多様性を受け入れる仕組みになっていかなければならなりません。そうなると、VUCAに加えて人口減少の時代に、1人の先生が、全ての子どもに個別最適な学びを提供するというのは、事実上不可能になるでしょう。
そうなると、子どもたちに1人1台端末がないと、教育は難しいことになります。GIGAスクール構想は経済を回すための政策だ、という報道がされることがあります。あらゆることと同様に、それもゼロではありませんが、基本的には、子どもの多様性にきちんと対応できるような教育環境を作るにはどうしたらよいかという議論から出てきた政策です。
「1人1台端末で、小中学校の教育はここまで変わった」ことの事例
1人1台端末を活用した授業の事例として、例えば小学生でいえば、紙の教科書で大事だと思うところを付箋に書き出して、動かしながら整理するという、いわゆるKJ法を、Jamboardを使って行うということがしばしば行われています。
これは、昔は模造紙と付箋でやっていたものですね。このように、情報を集めたり、どのように整理するかを考えたりすることをしっかり経験することになります。
このような経験をした子どもたちが高等学校に入って来たら、今度は「情報の整理とは何か」ということを、体系的に理解できるようになってほしいと思います。
小学校・中学校では、様々な教科でこういった活動をしています。ただ、あくまで経験しているだけで、知識や技能には十分なりきれていないところがあります。やったことはある、こうやったら便利だという個別の知恵は持っているというレベルです。
高等学校の情報科の先生方には、それらをちゃんと体系化できるよう、指導していただきたい。その際に、グループによってやり方が違うこともありますが、それを共有することでお互いを認め合うという風土を作るという意味でも、重要であると思います。
今、GIGAスクール構想を市町村レベルで最も成功に導いているのは、愛知県春日井市です。春日井市の中学校の生徒たちは、GIGA端末を使って、教科書の内容で重要だと思うものを書き出して構造化し、それを基に他の人に説明をすることで教科書の内容を理解するといったことを、毎時間訓練的に行っています。
これは、結構すごいことです。ポイントは、「毎時間やっている」ということです。端末を使った活動では、Jamboardがうまく使えなかったり、途中で終わってしまったりといったことが、どうしても起こります。しかし、毎時間やっていると、一人ひとりの子どもがどのくらいできるのか、大体何分くらいの時間配分で、どういった手順で進めればよいかということがわかってきます。
[中学校1年生社会の授業の動画紹介]
中学校1年生の社会科のGoogleClassroomを使った授業では、Jamboardで教科書の大事なところをまとめる作業をしています。ただ書き出すだけでなく、矢印でつないだり、順序立てたり、違う資料から抜き出したものは色を変えたりといった、情報デザインの基礎になるような体験をしています。
そして、まとめるためのキーワードを考えて、それに沿って整理していくという活動につないでいます。どの生徒も結構な入力量で、キーボード入力がうまくできない人は見当たりません。
授業の中では、チャットも活用しています。自分が考えたことをJamboardで整理して、次にその根拠になる資料をネットで探して引用する、もちろんそのURLもコピーして持って来る、そして教科書の該当する部分をトリミングして貼る、という活動をするのですが、いいものを見つけた人は、チャットに書いて共有します。あるいは、「自分は今、こういうことに取り組んでいるけど、同じことをやっている人がいたら連絡をください」ということを書いて、学習を組み立てている人もいます。
自分で資料をまとめるだけでなく、友達と議論をする生徒もいます。そして、その議論でわかったこともまた書いて共有していきます。こういった活動を通して、この授業の中で子どもたちの頭の中を通っている情報量は相当なものであると思います。
しかも、これを彼ら一人ひとりのペースで行っているのです。だから、先生の話を途中で聞きそびれてしまってわからなくなったとか、時間が足りなくてできなかった、ということがありません。他の人が頑張っている様子を見て、そこからも学びながら自分の学びを組み立てていきます。
そして、この授業は社会科なので、社会科の見方・考え方で必要なものを取り出して、その上で授業のまとめを書くということになります。
当たり前のことですが、中1の最初の頃は、これまでこういった活動の経験が全くないため、できない生徒がたくさんいたそうです。それが、この授業を行った中1の2月には、ほぼ全員ができるようになっていました。
知識理解が足りなくてしんどい生徒には、先生が教科書の説明してあげるために、5~6人を集めて個別に対応して、説明する場面もありました。また、わからないところを自分から聞きに来る人もいました。
こういった形で、本当に支援が必要な子どもに支援を多くして、自力でできる人はできるだけ自力でやる。失敗することもあるけれど、毎時間やるので、1か月、2か月経てば、大体のことが十分効率よくできるようになる、ということです。このような授業から、新しい授業の方法、授業観のようなことが見えてくるのではないかと思います。
他者参照/途中参照で「学び方を学ぶ」
Jamboardは、他の人の意見や、整理のプロセスを見ることができます。これは「他者参照/途中参照」と言って、最近は学術的にもよく言われていることです。
これまでは、「完成したら提出しなさい」ということで、完成物の出来だけで評価されていました。しかし、Jamboadであれば、完成するまでに、どのような試行錯誤や迷いがあったか、ということも見ることができます。
子どもたちも同様で、他の人の出来上がった作品だけを見るのでなく、その人がどんな考え方ややり方をしているのか、ということを見て学ぶことができます。
先ほどお話ししたように、これからは「学びに向かう力」というものが重要で、子どもたちには学び方を会得してほしいわけです。学び方というのは、最終的に一人ひとり異なったものが根付きます。学び方の原理になることは、当然高等学校の情報科でも教えることになりますが、それをどのように用いるかは本人次第です。皆がまとめ方や分類の仕方で格闘してる様子を、他者参照、途中参照することが、これを支えることになります。
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小学校や中学校では、いろいろなクラウドツールが使われています。中には、できたものを提出する仕組みだけ、というツールもあります。これは、今までの一斉授業をデジタルにしただけの、いわばデジタル一斉授業型のツールです。この方が、授業スタイルをあまり変えなくてもよいので、最初は楽であることは確かです。
しかし本質的には、途中の過程をお互いが共有していくことこそ大事だと思います。こちらはGoogleSlidesですが、最初に共有されるときは全員が白紙で、ここからどうやってできあがっていくかを皆で参照し合っていくわけです。
自分も頑張りながら、他の人のスライドを見ると、「矢印を使うと流れがわかり易いな」とか「大事なところを囲んで強調するのもいいな」ということに気づき、ちょっと取り入れてみよう、ということになります。こういった体験的な積み上げが、「情報デザイン」を学ぶときに大事になると思います。
ですから、演繹的に理論武装で学習するのでなく、彼らが体験的に身に付けてきたものを理屈で整理していく、ということが先生方のお仕事ではないかと思います。
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「何を学ぶか」でなく「何かできるようになるか」、「授業課程」ではなく「学習過程」
GIGAスクール構想に基づいた、こういった学びが義務教育の中で提供されてきた背景についてお話しします。
こちらは、皆さんもよくご存じの現行の学習指導要領の考え方の図です。ここには「何を学ぶか」「どのように学ぶか」「何ができるか」という3つのキーワードが埋め込まれていますが、少し前までの学習指導要領は、「何を学ぶか」というコンテンツの並びが書かれているだけの、教育内容の一覧表でした。
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しかし、先ほどからお話ししているように、予測不可能な社会に生きるためには、学び方の習得や、学び続ける態度というものが重要になってきています。知識は検索すれば出てきますから、知識を詰め込むよりも、むしろそれを使って、一番上に書かれている「何ができるようになるのか」ということこそ、新しい時代に生きる資質・能力の目指すもの、として実現する必要があります。
そして、それを実現するためには、「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」を多様に体験する必要があります。「自分の学び方とは何なのか」ということを、子どもが常に考えるような学習状況を作ってく必要がある、ということです。
もちろん、「先生に教わって学ぶ」という学び方は十分有効で、残ると思います。しかし、それだけに頼っていては、結局誰かに教えてもらわないと学べない人にしかなれません。そうではなくて、自分で教科書に書かれていることを整理したり、動画の内容から重要なことを箇条書きで書き出したり、といった学び方につながるような経験や、情報の要約の仕方などを体系的に学ぶことが「どのように学ぶか」のポイントであり、これが「主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」)視点からの学習過程の改善」なのです。
ここで大事なのは、「授業過程」ではなく、「学習過程」であることです。一人ひとりの学習の過程は違います。情報を集めるのに時間をかけたい人もいれば、情報の整理に時間がかかるので、集めるのは早めに切り上げる人もいます。考え方を整理しながら集めたい人もいます。本人が一番やりたい方法を決めればよいことで、先生が声をかけて、一斉に同じことをさせていてはダメなのです。
初期指導では作業の仕方を教えながら、本人がだんだん学習の過程を自覚して、どこで切り替えるかを決める、自己選択をさせていく。これが「自己調整学習」で、変化の激しい時代に重要だと言われる学びの形です。2022年から高等学校でスタートした今回の学習指導要領の、今その次の学習指導要領の検討がいずれ始まりますが、そこではさらに個別・最適に変わるでしょう。
個別・最適な学びの前提条件としてのGIGA環境の整備
これを先生1人が一斉・一律に管理することには限界があるので、生徒にある程度任せたり、何種類かのやり方を提示して自分のやり易い方法でやらせたり、といったいろいろな手法が、授業のバリエーションに取り入れられる必要があると思います。
さらにGIGAの環境整備については、とかそういうことは、今年の政府の予算編成の戦略的原則(「骨太の方針2023」)にも書かれています。
これは、高等学校には直接は関係ありませんが、小学校・中学校には強く関係します。ここで書かれているのは、ICTの活用を今後さらに日常化させる。それとともに、人と人との触れ合いの重要性にも配慮する。これは、人口減少の社会で生きていく人が、ICTを使いながら、同時に他者を尊重する姿勢を育てる。
そして、真ん中あたりに「情報活用能力の育成など学びの改革、校務改善」と書かれています。学びの変革というのは、「子ども一人ひとりの学び」になる、主語を子どもにするということです。
さらに、あと下のほうには、「国策として推進するGIGAスクール構想」「公教育の必須ツール」と書いてありますので、「来年から予算がつかないので、1人1台端末は無くなりました」ということはもうあり得ない、ということになります。つまり、これから高等学校に入って来る生徒たちは、今までお話ししたような学びを経験してくることになります。
ただ問題は、地域間格差、学校間格差が大きいことです。ですから、先ほどご紹介したようなすごい活動をして来る子どももいれば、同じ県内でも1学期間端末を一度も家に持ち帰らなかった、という学校もあります。今後は、今やらないで済ませている学校を、少しでもよい方向に持って行くのが、私たちの仕事であると思っています。
一方で、高等学校は義務教育ではなく、課程やレベル、環境は大きく異なります。また、生徒がいったん進路選択をして入学しているので、一律に対応するということができません。高校生が持つべき端末を県が用意するのか、あるいはBYODとして保護者負担にするかとかいうのは非常に難しい課題で、各学校の設置者の考え方次第ということになります。
情報活用能力の意義の再認識
こういった状況の中で、「情報活用能力」というキーワードが再認識されています。
こちらは、「情報活用能力」の位置付けを私の方で整理したものですが、今日、この言葉は位置付けが少し変わっています。
まず、先ほどお話ししたように、「情報活用能力」という用語そのものは1980年代からありましたが、今の定義は1997年・98年頃の定義が使われており、現行の学習指導要領では、高等学校情報科だけでなく、総則にも「情報活用能力」という言葉が入っています。
総則に入っているということは、各学校が教育課程を編成するときに、「情報活用能力」の育成を意識してなければならないということです。具体的には、言語活用能力、問題発見・解決能力とともに、「各教科等を学ぶときの学習の基盤となる資質・能力」の一つとして入っています。これは、各教科の学びの前提に情報活用能力というものが位置付いており、教科の学びとともに育成していくべきものである、ということになります。つまり、小学校から中学校、高等学校を通して、各教科で横断的にこの育成を行う、というのが、スライドの1番に書かれていることです。
2番目はGIGAスクール構想で1人1台端末が配られていて、学び自体がクラウドツールを使うことを前提にしているので、情報活用能力がなければうまく使えない、ひいてはうまく学べないということになります。
先ほどご紹介したように、毎時間いろいろな場面で端末を使う訓練をしておけば、「情報活用能力」が向上して、様々な教科や場面で使うことができるようになり、教科の指導としてもかなり密度の濃いものになるでしょう。さらに、デジタル教科書が正式に認められて広く使われるようになったり、学力調査がCBTになったり、いずれ大学入学共通テストもCBT化されたりということになったとき、機器を使いこなすという意味での「情報活用能力」が一層重要になってきます。
そして、高等学校の「情報Ⅰ」の必履修化、さらにこれが大学入学共通テストの出題範囲になるということは、高大接続の観点から議論された結果です。
大学では、文系・理系にかかわらず数理・データサイエンス・AI教育を実施することになっていますので、その意味での情報活用能力は、今まで以上に位置付けが大きくなっています。
これは、高等学校以外の各教科等にも影響が及んでいます。例えば、小学校の算数はもともと4領域ありましたが、4領域目を再編して、小学校1年生から「データの活用」という領域が立ち上がりました。
その教育内容のほとんどは、表を読み取ったり、グラフにまとめたり、グラフを書いたりといった、これまでも行われてきたものです。それを「データの活用」という分脈で位置付け直したいうのが大きなことです。
また、小学校・中学校の「データの活用」では扱うデータ数が少ないので、小学校で算数、中学校では数学の中でできますが、データの数が多くなれば、当然プログラムで分析することが必要になるので、数学と高等学校の「情報」は関係してくるわけです。
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また、プログラミングは小学校5年生の算数と6年生の理科に位置付けられ、教科書検定の範囲になっているので、全ての教科書で扱われています。
実際は、新型コロナの影響もあって、十分に行われていないところもある、というデータもありますが、このあと仕切り直しをして、やっていかなければいけないと思います。
こういった形で経験した子どもたちが高等学校に来て、プログラミングを体系的に学ぶことになります。
全国学力調査の問題の変化~前提となる環境や期待される学習経験も同時に問われる
こちらは、昨年の全国学力調査の小学校6年生算数の問題です。プログラムを使って図形を書きましょう、という問題が、4問ある大問の4番目に出ました。
これには、学校現場で「これって、算数として大事だったの?!」と、けっこうな衝撃が知りました。正直、「前から言っていたでしょうが」という思いです。
「四角形は描けても三角形は書けないとき、どうやって解決するか」といった、特定のプログラミング言語に依拠するのでなく、プログラミング的思考自体を試している問題です。
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中学校の国語で出題されたのは、文書ソフトの共同編集を前提として、意見文を書いたときに、友達がくれたいろいろなコメントを受け入れてどのように修正していくかという問題です。
つまり、試しているのは国語や算数、数学の学力であるとしても、その前提となる環境や、期待される学習経験も同時に問われていることになります。こういった経験が、いずれ先生方が高等学校の情報科で教えることのベースになります。
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中学校の数学には、こまの回し方と回った時間の分布の問題が出題されています。平均を取るだけではわからない「分散」が問われています。また、分散を表現するために箱ひげ図も扱われています。
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こちらは、大学入試センターの水野修治先生の資料を拝借したものですが、高等学校の「情報」の変遷が整理されています。
このような変遷を経て、今まさに一番右の「情報I」から「情報Ⅱ」が始まっています。
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そして、大学ではすべての大学で文系・理系関係なく、数理・データサイエンス・AI教育を進めるために、教育プログラムの認定制度も始まっています。
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子どもたちの「情報活用能力」の実態は…
では、そんな「情報活用能力」が子どもたちにどのくらい身に付いているのか、という調査を国が行っています。
1回目の調査が2013年、10年前です。昨年度、2回目の調査を行いました。
小5・中2・高2を同じ問題で、GIGA端末等でCBT実施し、IRT(項目反応理論)で分析しました。
結果がこちらです。「情報活用能力」は総合的な能力なので、IRTで難易度をレベル1~9の9段階に分類しました。グラフの高校生は緑色中学生がオレンジ色、小学生が青です。
高校生は大体上の方(レベル6~7)、中学生はそれより少し下のレベル5~6にそれぞれ正規分布しています。小学生は、もう少し下のレベル3~4あたりに分布していますが、これは、認知・発達段階で当然のことでしょう。
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これは総合力で見ていますが、例えばキーボード入力による日本語入力だけを抜き出して見てみます。
横軸が1分あたりの入力文字数です。これも緑色が高校生で、大体正規分布しており、ピークが20~25文字です。1分間で25文字がピークというのはちょっと遅いので、分布をもう少し右に寄せていかないといけないと思います。中学生はそれよりやや少なくて20文字くらいのところにピークがある正規分布です。
一方、小学生は正規分布していません。入力数が非常に少ない子が3割ほどいますが、これは要するにキーボードを使っていないということです。
私は、キーボード入力は、自転車に乗れるようなものだと言っています。あるときに集中的に練習すれば、小学生でも確実にできるようになるものなので、それすらできていないというのは、その指導を受けていない、つまり機会の損失が起きているということです。
これは結構大きな問題で、次の学習指導要領では、おそらくキーボード入力は、「この教科のここでやる」と位置付けられる可能性があると思います。
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現行の「情報活用能力」の定義は、ご存じのように昔からあるものですが、この定義を色分けしてみます。
総則に書かれている、各教科の学びの役に立つ学習の基盤として機能するようなことは、このスライドでは黄色で示されたところ、例えば「情報手段としてどれを選ぶかを適切に決める」、「情報の収集・判断・表現・処理」、「相手に合わせて発信・伝達する」、あるいは「情報モラルの必要性や情報に対する責任」「基本的な操作」といったことは、どの教科にも影響するので、教科横断的に行われるべきところだと思います。
一方で、水色で示しているのは、専門的にしっかり理解させなければいけないところです。今は、この黄色いところと水色のところを合わせて「情報活用能力」と言っていますが、学ばせ方は違うのではないかと思います。
この辺りは、今後いろいろ議論して、「情報活用能力」のこれからの在り方を考えていきます。そこでは、高等学校の「情報」までに、この水色のところを中学校でどのように理解させるのか。そのための教科等を作るのか、作らないのか。小学校は何年生くらいから、どの程度のことまで体験させるのか、といったことを、この黄色と水色を区別する形で考えていく必要があるだろうということです。
現状における課題~問題含みではあるが、入試への「情報」導入は大きな転機に
最後に、まとめです。
現状、高等学校の「情報」や「情報教育」についての課題はいろいろあると思うので、早速ChatGPTに聞いてみると、大体こんなことを言ってました。
ざっくり言えば、「専門能力が足りない教員がいるんじゃないか」とか、「実践的な学習機会が足りないじゃない」、「教材が足りない」「標準的な評価基準がない」云々。2021年段階のデータを使えば、こういった答えになります。
一方で、高等学校を訪問すると、教室に情報入試の模試の案内が掲示されていたりします。これも、大学入試に「情報」が入ったことが大きいと思います。
大学入学共通テストのサンプル問題が入試センターのページに公表されていますが、これを見ると、数学の延長でもあるのと同時に、プログラムができないと意味が分からない言葉で、「情報の質」のようなことをきちんと理解できるようにならなければいけないこともわかります。
また、共通テスト以外でも、電気通信大学をはじめとして、個別選抜で「情報」の導入の動きが出ています。
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今、文科省で課題意識が強いのは、高等学校の情報科の教員の数がそもそも少なくて、免許外の先生がこんなにいる、という教員配置問題です。このままの状態で、「情報」が入試に入っても、地域や学校によってはきちんと指導受けられないおそれもあると。
この話になると、「文科省はどうしてちゃんと手を打っておかなかったんだ」とお叱りを受けることがよくありますが、公立学校の先生は地方公務員なので、文科省には働きかけしかできないのです。
ですから、それぞれの都道府県に頑張っていただくしかないので、昨年度から都道府県の教育委員会に通知を出して、たくさん研修を受けてもらうよう、強く働きかけています。
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こちらが、文科省から出ている11月15日付の通知です。
「抜本的な改善計画を提出していただいたところ」、「情報科の指導体制の抜本的強化」といった強い表現が並んでいます。
文科省では、臨時免許や免許外担当がどのくらいいるか、ということも調べています。こういったことを可視化して改善を促すとともに、MOOCや教員研修用教材、実践事例集、動画教材などを作って、教員の指導力向上の環境を整備しています。
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また、情報処理学会さんに協力していただいて、教員研修用教材を作ったり、NHKの高校講座を国と調整して作ってもらったりしました。
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こういった改善計画を実施した結果、もう少しすれば、この程度は改善されるだろう、という見通しがこちらです。実現してくれることを願っています。
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また、最近民間のデジタル教材でも面白いものがいろいろ出てきました。情報科というのは、やはり世の中とつながっている教科なので、世の中の実際のデータや情報が教材になるという点は大きな特徴であると思います。
ですから、「日経パソコンEdu」のように、ICTの専門雑誌の内容がそのまま授業の教材になりうるというのは、強みであると思いますし、逆に先生方も、そういうところまで教材研究の視点を広げていただく必要があると思います。
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そして、やはり高校生は思春期ならではの悩みを抱えています。例えば、情報モラルも教条的に教えれば済むということはありません。これは、都立神代高校の稲垣俊介先生の研究ですが、男子と女子で、インターネットの使い方にはやはり特性が出ています。
男子の場合は長時間のICT利用(主にゲーム)が、学校生活スキルに負の効果をもたらしていますが、女子はどちらかというと、同調圧力などによって、みんなとつながりたいという気持ちが、精神的依存状態や、メール不安につながるということが、明らかになってきています。
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次の学習指導要領改訂に向けて
中教審では、次の学習指導要領についてずっと議論していますが、中教審の仕組みというのは、意外にご存じない方が多いと思います。
皆さんにいちばん大きく関係する部分は、最終的に「初等中等教育分科会」で決裁されます。
そのために教育課程や教員養成をどうするかとかいうことがありますが、これは下のほうの「デジタル学習基盤特別委員会」で議論します。
これからは、デジタルの学習基盤となる端末を使うことを前提として、デジタル教科書をどうするか、教育データをどのように収集・分析するかといったことを、教育指導の充実に関係するという枠組みで、中教審でも議論が始まっているということです。
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ここで主に検討することは、いろいろ書いていますが、校務や先生方の働き方改革といったものも、デジタルを前提のDXでやっていく方向に動いていくことになります。
これが都道府県を通って皆さんの学校に届くまでは、やはり時間差はあるかもしれませんが、数年経ったらだんだん浸透していくという話になりますので、ぜひご注目いただけたらと思います。