2023年度東京都高等学校情報教育研究会研究大会 基調講演
「未来を切り開くための情報分野の初等中等高等教育」
慶應義塾大学 植原啓介先生
今日は皆さんと一緒に、「情報分野の教育」という大きなテーマについて考えていきたと思います。よろしくお願いいたします。
私は慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスの環境情報学部におります。そもそも身の回りの環境の中の情報を取り扱う学部を作りたい、ということで作ったのが「環境情報」というワードで、私はその中で、情報技術に関する研究をしています。
私は、1990年からインターネットの研究をかれこれ35年ほどやっておりまして、専門は移動体通信の研究です。研究を始めた当時のコンピュータは大きかったので、車にコンピュータを積んで走り回っていました。その辺りから、自動車関係や、今で言うところのIoT関係の仕事をするようになりました。
その頃、既に自動車はロボットでした。どういう意味かと言いますと、自動車というのは、アクセルを踏むと加速し、ブレーキを踏むと止まります。ハンドルを切ると左右に曲がります。確かに昔の車はそうでしたが、今どきの車は、アクセルを踏むと「踏んだ」という情報がコンピュータに入力され、「きっとこの人はこういうふうに運転したいのだろう」ということをコンピュータが判断して、燃料をくべたりしています。
つまり、人間が操作している気分になっていても、実際は直接操作していないのです。その意味で、自動車というのは、すごいロボットなのです。
ロボットなので、いろいろなセンサーなどが入っています。せっかくそういったものから情報を取っているのなら、それを共有していけば、世界のことがもっといろいろ分かるのではないか、というところからITS(Intelligent Transport Systems:高度道路交通システム)の分野に入っていきました。
そこから地理位置情報などいろいろなことをやってきましたが、一時期自分は何者なのだろう、とずいぶん悩みました。そして結局のところ、実空間にあるものをインターネットにつないで、そこで何らかのものを計測・解析して、社会に役立てていくのが自分の専門分野だと思っています。
そのような中で、情報化社会で生きていく学生たちが、どうやって育っていくのかということにも興味を持つようになり、教育の分野にも入ってきていて、今日ここでお話をさせていただく機会をいただいた、という状況です。
これからの情報社会で求められる「情報」の学び
今日はこれからますます発展する情報科社会の中で、子どもたちがどんな「情報」の学びをしていかなければいけないか、というお話をします。
先ほど自動車はロボットだ、というお話をしました。それ以上に、世の中ではいろいろな科学技術が高度化し、それなしには何もできない状況になっています。
下のスライドは、内閣府の総合科学技術イノベーション会議の資料ですが、最近は新聞を開いても、科学技術にまつわるワードがたくさん出てきます。例えば、新型コロナのときに盛んに言われたmRNAは、多分5年前なら「RNAなら聞いたことがあるけれどmRNAは聞いたことがない」という程度でした。
AIにしても、5年前は夢物語でしたが、最近は新聞にAIという単語が載らない日はないと思ってしまうほど一般的になっています。
ただ、皆さんがAIと聞いたとき、どのような技術を思い浮かべられるでしょうか。私は、実はAIという言葉があまり好きではありません。正確に言うと、好きではありますが、好きが故に、今世の中で使われているAIという言葉の使われ方が嫌いなのです。あれはマシンラーニングであって、AIではないだろう。グラウンディング問題はどうしたのか、といったことを考えてしまいます。
とはいえ、マシンラーニングの世界について言えば、少なくとも私が10年前にデータ分析をして、コンピュータができることはこれくらいかな、と考えていたものを、はるかに上回る性能になっていることは確かです。その意味で、やはり技術の進歩は速いですね。そして、その仕組みをある程度知っていないと、間違った使い方や判断をすることが起きるだろう、と思っています。ですから、やはり科学技術について学ぶことが大事だと思います。
もちろん、これは昔から大事でしたが、最近は身の回りで知っておかなければいけないことが、20年前に比べると、格段に増えてきていると思います。
このスライドの下の方に、4つの科学的手法が挙げられています。「演繹(的手法)」「帰納(的手法)」という軸と、「フィジカル」「サイバー」という軸があって、「理論科学」「実験科学」「計算科学」「データ科学」という4つの手法があります。
15年ほど前から、右下の「データ科学」が台頭してきています。2009年に『The Fourth Paradigm』という本が出版されていますが、この本には、「データがたくさん集まることによって、科学の手法が変わってきてている」ということが述べられています。少なくともこの15年で一番発展したのは、このデータ科学の分野であることは確かだと思います。
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ただ、わが国の教育を見ると、この分野は危機的状況にあります。下のスライドは、高等教育在学者の専攻分野の構成比を国別に示したものです。理学、工学、農学というのが左側の赤い部分です。中国などは約4割の学生が学んでいますが、日本では2割程度で、いわゆる理系離れが進んでいるという状況です。
これが、かつては「技術立国日本」といわれていた日本の現代の姿です。この状態で、未来を切り開いていく発明やアイデアが、本当に日本から生まれるのだろうか、ということを考えていただきたいと思います。
「数の問題ではないだろう」と考える方も多いと思いますが、やはり裾野が広いということは非常に重要です。例えば、何かのスポーツの種目を盛り上げようというとき、裾野を広げてたくさんの子どもたちが取り組むようになれば、そこからトップ選手が生まれてきます。
今後は、少なくとも他国と肩を並べるような人材が必要になってくるでしょう。そこまで追いついておかないと、将来的には日本の技術の衰退が起きるのではないかと思っています。
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それに対して、国もいろいろな施策をしています。下は内閣府のスライドですが、この内容をかいつまんでお話しします。
Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策ということで、これからSociety5.0というものが進んでいきますよ、多様性というものがありますね、という話があり、上段の右側には、進路選択で理系に進む人が少なくなっています、という話が出ています。
この進路選択の図は、よく見るとミスリードになるもので、ぜひ授業で教材にしていただきたいと思います。
何がおかしいかと言いますと、グラフの一番上が15歳、次が高校生、学士、修士で理系を選ぶ人のパーセンテージがどんどん少なくなっていくのですが、分母の人数は全て同じです。これでは年齢が上がるにつれて少なくなっても仕方ないだろう、ということです。
とは言っても、世界に比べると理系を学ぶ人が少ないというのは、先ほどのスライドでお見せしたとおりです。
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そして、中段あたりに「多様な学びをしていきましょう」とあって、それに対して国は、下段にあるように「政策1」「政策2」「政策3」というものを提示しています。
その「政策2」では探究・STEAM教育の充実ということが示され、小学校から大学まで一貫してサポートしていきますよ、と言っており、これは既に始まっています。
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科学技術に対する学力・スキルをどのように測るのか~小中学校からの体系的な積み上げも重要
こういった背景の中で、皆さんに質問させてください。
ここ数年、高校に入学してくる生徒さんの、科学技術に対する学力・スキルは向上していると思われる方はどれくらいいらっしゃいますか。ポツポツですね。
では次に、高校を卒業する生徒の科学技術に対する学力・スキルは向上していると思われますか。
この2つの質問を自分自身に投げ掛けてみます。つまり、私は大学の教員なので、高校を卒業して、大学に入ってくる学生の科学技術に対する学力・スキルは向上しているのか。あるいは、大学を卒業して、社会に出ていく学生はどうなのか、と考えるわけですね。
そうすると、個人的な感覚ですが、大学に入学してくる学生はばらつきが増えています。できる人はめちゃめちゃできるけれど、できない人は、昔はキーボードぐらいは打てたのが、今はフリック入力になっているで、タイピングすらできない。
私が所属する学部では、学生にタイピング試験というものを課していますが、中には「フリックではダメですか。タイピング試験、フリックなら合格すると思うんですが」と言ってくる人がいます。タイピングが科学技術に対する学力・スキルなのかというところについては、いろいろなご意見があると思いますが、とにかくばらつきが大きくなっていると感じます。恐らく、高校に入学してくる生徒さんたちもそうではないかと思います。
今、「個人的な感覚ですが」ということでお話ししましたが、情報科において、学力やスキルをどのように測るか、ということは、大切な問題です。
学力やスキルを測るというと、高校教育においては、学習指導要領がまず出てきます。これに照らし合わせて、「この生徒の学力は上がった/下がった」「去年に比べると、今年入学してきた生徒の学力は上だ/下だ」といった判断をしていくと思います。
先生方は、情報科の学習指導要領には詳しいと思いますが、小学校や中学校で学ぶ情報科に関係する内容は把握されているでしょうか。つまり、中学校の技術科で何を学んで、どこまで知っていなければいけないのか。それに対しての積み上げはどこからなのか、ということをご存じの方は、もちろん多いとは思いますが、それよりも「情報I」の方が気になっていらっしゃるのではないでしょうか。
私も、ここ10年ほど、このような立場で高校の教育にも関わるようになって、学習指導要領にもそこそこ詳しいつもりでおりますが、私の大学の同僚はほとんど知りません。教育のこの状態は本当に大丈夫なのでしょうか、というのが、今日の私の問い掛けです。
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下の表は、私のところの学生と一緒に、初等中等教育のどの段階で・何を学んでいるか、ということを整理したものです。
縦軸の一番左に、日本学術会議の情報分野の参照基準の5つの大分類、次の列に一段階細かい分類が約20、その下になると限りなくありますが、情報の分野で何を知ってなければいけないか、ということが整理されています。
横軸には、小学校の学習指導要領、中学校の学習指導要領、高校の「情報Ⅰ」「情報Ⅱ」の学習指導要領を並べて、どのように学んできているのか、ということが示されています。
これを見ていて、情報教育において、初等・中等・高等教育のそれぞれの段階で何をするか、という抜本的な整理が必要ではないかと思っています。
本来は、学習指導要領の中できちんと整理をしてあるべきだと思います。先生方の中に、もしかしたら、次期学習指導要領に関わる先生方が出て来られるかもしれませんので、これは私からのメッセージとして伝えておきたいのですが、ぜひ、いつ・何を学ぶのか、という積み上げを考えていただき、きちんとマッピングをしていただきたいと思います。ただ、これは高校の「情報」が始まって、まだ20年余りなので、この状況なのであって、今後改善していくだろうと思っています。
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「情報」で教えられる内容のバラつき
下のスライドは、電気通信大学の赤澤紀子先生たちの研究から引いてきたものですが、教科書の索引にある用語を抜き出して、どの教科書に載っているか、ということを見たものです。
左側の上の表が数学Ⅰ、下が数学Aです。縦軸と横軸は教科書の種類で、それぞれの教科書同士の相関がセルの中に入っています。
赤のセルが相関が高いもの、黄色がそこそこ高いもの、白が相関0.3以下です。そうすると、数学Ⅰは何となく上2つと真ん中辺りに1つ、白いセルが並んでいるところがありますが、これら3つの教科書はちょっと例外として、大体強い相関があります。数学Aでも、大体同じ言葉を使って同じことを教えている、ということが見て取れます。
つまり数学は、全国の生徒が、どの教科書を使ってもほぼ同じ言葉で学んでいることになります。
これが「情報」では、結構ショッキングなことになります。スライドの右側が、今皆さんが使っている「情報Ⅰ」の教科書です。先ほどの数学と同じように並べて見ると、ちょっと心配になるくらい相関がないのです。
これが私教育であれば、全く問題はないでしょう。どこかのプログラミング塾で大学院並みの高度なことを教えている、というのはアリだと思いますが、公教育においては、学ぶ内容にある程度の整合性が必要であると思います。その意味で、やはりこの状況は、あまり好ましくないなと思っています。
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先ほどの表を作られたときのキーワードが、このようなものです。教科書の索引に出てきたワードに、コードやカテゴリー、説明といったものが加え付けられています。
右側に「総意率」という列がありますが、これが「何%くらいの教科書に載っていたか」という割合です。
ここに挙がっているワードを見て何を感じられるでしょうか。私には、非常に一般的な用語が多いと思われます。
例えば新聞記事のような、普通の文章と比べたときに、これがはたして情報科の教科書で取り上げられるべき特徴的なワードなのか、と疑問に思われるようなワードが結構並んでいるな、という印象です。
例えば「メディア」や「データ」は、確かに言葉としては教えなければいけないかもしれませんが、これらは情報科ならではの言葉でしょうか。そもそも「情報(information)」という言葉にしても、今さら定義しなければいけないものなのか、と思うわけです。
そう考えると、情報科は総合的な科目であることは間違いないですが、情報科特有の学習内容に関するワードリストは必要だと思います。
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ただ難しいのは、言葉の定義というのは非常にコンテクストに拠ります。先ほど引き合いに出した「情報」というワードを例に考えてみましょう。
先生方は、「情報」というワードは、情報科の授業で教えなければいけないものだと思われるでしょうか。私は、教えなければいけない、特有の場面というものはあると思います。
例えば、下のスライドで、左側はいわゆる「エントロピー的情報」の話です。Wikipediaから定義を持ってきましたが、事象Eが起こる確率をP(E)とするとき、事象Eが起こったと知らされたときに受け取る自己情報量I(E)が数式で定義されています。これは「情報」ではなくて「情報量」ですが、この情報量について話をするときの「情報」には、確実にサイエンティフィックな定義があります。
あるいは、別のコンテクストで、右側のDIKWモデルというものがあります。「データ(Data)」というものがあって、データを整理すると「情報(Information)」になり、情報から「知識(Knowledge)」が生まれ、最後は「知恵(Wisdom)」になっていく、というモデルです。ここでいう「情報」は、やはり普段の生活で使っている「情報」という言葉とは違うものです。
このように、情報科特有のワードリストを作らなければいけないとは思うものの、その作り方も非常に難しいのです。
これは多分、「自分の思う『情報』はこれだ」と決めつけてはいけない、ということであると思います。情報教育に携わる方が、共通の認識として、「『情報』では、ここは必ず学んでほしい」、というものは決めなければいけない。時代で変わってもよいけれど、今はこれを学んでほしい、ということを決めなければいけないと思います。例えば、都高情研の中だけでもコンセンサスが得られれば、それはそれで非常に大きな価値があることだと思います。
情報処理学会では、先ほどの赤澤先生たちが作られたワードリストを精査をしていて、近々公開されます(※1)。私も全部見ていますが、ワードが約800あります。このままではまだ使いづらいですが、公開されたらぜひ見ていただいて、教育現場で使いやすいものにしていただけるとありがたいです。
しかし、なぜこんなことになっているのでしょうか。
先ほど見ていただいた教科書に載っているワードの表が、数学と「情報」でずいぶん違っていたのは、ひとえに情報科の歴史が浅いからだと思います。
もう一つ理由があるとすれば、情報分野というのはまだ発展途上で、しかも進歩が非常に速いので、学問としてなかなか完成しない、まだまだ追加されていく要素があるからだと思っています。
教育方法以上に揺らぐ評価方法~「大学入試を中心とした情報分野の学力評価手法の検討」プロジェクトがスタート
高校の情報科は、ご存じのとおり2003年に導入されて、ようやく20年を超えたところです。歴史が短いと申しましたが、あくまで比較論で、数学や英語、歴史に比べたら短いとはいえ、少なくとも20年の蓄積はあります。その20年の蓄積の中で今までいろいろな経験をしたことで、「カンブリア紀」がそろそろ終わるのかな、と思っています。
来年1月には大学入学共通テストもありますから、そろそろ、情報教育に関わる人たちで「ここを教えなければいけない」というコンセンサスを作っていかなければいけないだろうと思います。
その意味で、今ものすごい勢いで問題集などが出版されています。そういった中から、だんだんコンクリートな定義が生まれていくのだろうと思っています。
ただ、先ほどのワードの話で出てきたように、教育が揺らいでいる、という以上に評価手法が揺らいでいるのではないかと考えています。
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私は、今年度から、「大学入試を中心とした情報分野の学力評価手法の検討」というプロジェクトを始めています(※2)。
この背景として、情報分野において教育体系や学習評価の評価手法が十分に確立しているとは言い難く、円滑な高大接続のためには、高校と大学の双方に共通認識が必要である、ということ。そのための共通認識を作りたい、ということです。
初等中等教育における情報分野の学習効果と評価手法を確立したい。では、その確立にあたってどうすべきか、ということで、今までお話をしたような知識体系を、日本学術会議のものを参考にしながら整理をしてみたり、あるいはワードリストを見てみたりといったことを行っています。
これは5年間のプロジェクトで、今年度から2027年度まで実施します。その5年間に、このような評価手法ができたら、と思っていますので、皆さんにもご協力いただけると非常にありがたいです。
現在、大学の教員を中心に12名でこういった研究を進めています。このプロジェクトが目指す成果として、まずやりたいのが、作問マニュアルの作成です。
先生方も20年間のご経験があるので、期末テストなどでご自分の問題作成のやり方をお持ちではないかと思いますが、大学入試については、なかなかこれができていないのですね。
なぜそうなっているかと言いますと、作問する側(大学など)は、高校で使われている検定済の教科書を全部見て、「教科書に載っているから、きっと大丈夫だね」と考えるわけです。ただ、作問というのはやはり大変です。しかも、出した問題の内容が高校現場でどのように教えられているか、という状況は、想定するしかありません。「きっとここは高校で扱っているはずだから、出題してみよう」ということで、毎年作問しているわけです。
数学や英語の先生も作問をされていますが、例えば英語の作問を見ていると、非常にマニュアル化されていて「こうやれば大体平均50点くらいに落ち着くだろう」という経験と勘というか、バックグラウンドのデータをお持ちです。
しかし、こと「情報」に関しては、「やってみるしかない」というところがまだまだあって、いろいろ四苦八苦しながら考えながら作っています。
その意味では、作問のマニュアルのようなものを作っておけば、入試に関わる先生方がそのマニュアルどおりに作問されるとは思いませんが、高校の先生との間で、「これくらいの感覚で大学もやっているのであれば、期末試験はこれを出そう」といった、レベル感が掴めるのではないかと思っています。
この作問マニュアル作成の中で、今、3つのサブの研究が動いています。
1つは、いわゆる典型的な問いです。大学入試センターの試験のような、大問・中問といった形式でどのように作問をすると、うまく得点のコントロールができるか。
得点のコントロールというのは、大学側にとってはかなり大きな問題です。大体50点を基準に正規分布させるのが一番良い。もっと言えば、ふたこぶになってくれるとありがたいですが、そのような問題はなかなか出しづらいので、まずは正規分布を目指して作問しなければいけないのです。
それでは、どうやったら正規分布するのか、弁別性のある問題が作れるのか、というための作問マニュアルを目指します。
次にIRT(Item Response Theory:項目応答理論)を想定した問題です(IRTが大学入試として社会的受容性があるか、というのは、まだ議論のあるところですが)。TOEFLや英検といったものを考えていただくとよいかと思いますが、それぞれに難易度や弁別性のパラメータのついた多数の多肢選択問題の中から出題して、その得点によって受験者の能力を測る、というものです。これを想定した問題作成マニュアルを考えています。
私はテスト理論には詳しくないですが、テスト理論的には、大問一発でテストをするよりは、IRTの方が正確に受験者の能力を測ることができるはずだそうです。
ただ、今の大学入試は、同じ問題を同じ時刻に解いたもので一発勝負することで、公平性を担保していますが、IRTになると受験生毎に違う問題が出ます。必ず違う問題を出さなければいけないわけではありませんが、違う問題を出すことで、実施する時刻もバラバラにすることができます。今、共通テストは約50万人が一斉に受験していますが、5万人の受験者で10回実施することも可能になります。
そうすると、1学部で100人「情報」を受験するのであれば、40人くらい入る教室で、別々の問題を3セット実施して、同じ指標・同じ評価基準で受験してもらう、ということができますが、これが社会的に受け入れられるかどうか、ということも、これから考えていかなければいけないと思います。
CBTに関していろいろお話を聞いていると、受験生は、コンピュータによるテストにはかなり慣れていて、大学が心配するほどではないようですが、むしろ社会の不安の方が大きいようです。そのため、そういったところは検討していく必要があると思います。
また、「情報」の試験を紙でやってはいけないとは思いませんが、一方でコンピュータを使ったほうが出しやすい問題があるということは、間違いないと思います。
例えば、紙なら30ページくらいになる大量のデータを渡して処理させる問題や、わざと間違ったプログラムを与えてデバッグさせるなど、いろいろなことができると思います。その意味では、CBTならではの問題も出題したいと思っているので、そういった環境の構築も、このプロジェクトの中で行っています。
そのような中で、出題形態ごとに知識体系のどのような項目が評価可能で、どのような限界があるのか、ということを明らかにしていきたいと思っています。出題形態ごとのベストプラクティスのようなものが共有できれば、例えば典型的な問題で大学入試をやりたいという大学は、そういったマニュアルを使ってもらえたらよいですし、IRTにトライしたいのであれば、そういった知見を役に立ててもらえればと思っています。
本研究において対象とする出題形態としては、従来の一般的な問題のような多肢選択による知識問題、長文読解、プログラミング、データ分析などを考えています。
あとは、IRTを想定した多肢選択問題、4択問題のようなものを大量に出題することによって学力を評価するということも行います。また、CBTを前提とした問題ということで、例えば実行環境的なプログラミング問題や、大量のデータを使ったデータ分析問題といった、ペーパーベースのテストでは実施が難しいものを出題していく環境を作り、その評価をしたいと思っています。
研究の流れはこのようになっています。
前提となるのは、やはり情報分野における知識体系の整理です。初めのほうで、日本学術会議の参照基準の話や、赤澤先生たちがやられていた情報科のキーワードの話をしましたが、あのような共通認識がないと、そもそも評価することができません。ですので、まずそこの整理をしましょう、ということです。
これについては、先行研究としてたくさんのデータがあるので、そういった研究をメタに拾ってきて、そこからもう一回整理をし直す、ということをしています。
その中で、「典型的な問いによる評価手法の開発」「多肢選択問題によるIRTに基づく評価手法の開発」「CBTシステムの開発」を行っています。
ここまでは、先ほど述べたとおりですが、さらに4つ目があります。
研究ですので、開発したものは当然、妥当性を検証しなければいけません。というわけで、妥当性を検証する活動をしようとしています。
具体的には、こういった作問手法に基づいて開発をした問題を、世の中で実際に問題を解いてもらって、そこから我々が開発した問題作成手法が妥当かどうか、ということを検証していきたいと思っています。
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プロジェクトの具体的な内容として、「知識体系の確認と整理」についてご紹介します。
知識体系というのは、実はいろいろあります。日本学術会議のものも、「参照基準」と「情報教育課程の設計指針」があり、参照する文書によって5分野に分かれていたり、11分野に分かれていたりします。
また、大学入学者選抜改革推進委託事業というものに、私も関わりましたが、ここでは12分野に分けていました。
学習指導要領ではざっくり4分野です。それぞれの分野が3つに分かれているので、12分野ということもできます。
さらに、ITSSは13分野。ITパスポート試験では大分類で9分野、中分類で23分野というように、皆がいわば好き勝手に分野を作っているという状況です。
ただ、例えば数学であれば、「解析」とか「線形代数」とか言えば、イメージするものは皆大体一緒ですが、「情報」は、その辺りの分野がまだまだふわっとしているところがあるので、そこに対するコンセンサスを作っていくのが非常に大事であると思います。これについても、関係者の間でコミュニケーションを取り、議論を重ねていくことが重要であると考えます。
知識体系にはいろいろなものがありますが、やはり私どもの研究の対象は大学入試ですので、高大連携、高大接続がターゲットになります。ですので、学習指導要領に依拠することは必須だろう、と思っています。
ただ、学習指導要領は10年に1回変わります。ですから、次の学習指導要領ができるときに、我々が今考えていることが少しでも反映できるといいなと思いつつ、活動しているところです。
現在のプロジェクトの進捗状況をお話ししておきますと、去年の10月にシンポジウムを行いました。
そのときには、2023年度末頃には模試がやれるようにしたい、と申し上げました。
問題の方はほぼ完成に近づいているのですが、模試は時期がちょっとずれ込んでいるので、6月から7月頃に実施しようと考えています。
これは、4月か5月には、私どもの研究チームとして、こういった模試を実施する、ということをアナウンスする予定です。その際には、先生方からぜひ生徒さんたちにPRをしていただきたいと思います(※3)。
※3:模擬試験の案内
今回は、倫理審査等の関係があって、高校別のような団体受験の実施ではなく、生徒さん個人が同意すればいつでも受験できる、といった形での実施を考えています。
実施期間としては、2か月ほどを想定しています。その結果については、今年もまた10月頃にシンポジウムの実施を現在検討しておりまして、そこで発表したり、論文にまとめて発表したりしていきたいと思っています。
DNCの試作問題から見た、問題を作り易い/作りにくい分野
そして、皆さんが気になる大学入試です。こちらは大学入試センターの試作問題です。一昨年、60分を想定した問題が公表されましたが、4問構成で全問必答という形ですね。このようなものが、大学入試センターの共通テストとして出ますよ、ということですね。
第1問は小さめの問題がバラバラと出て、第2問は中問が2つ。第3問と第4問が大問、という構成になっています。
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特徴としては非常に文章量が多いこと。あとは、配点が結構ばらついているのが面白いと思います。
問題別に見れば、第1問が20点、第2問が30点、第3問が25点、第4問が25点で、そこそこバランスは良いように見えますが、実際には学習指導要領の分野に合わせると、分野1と分野2がそれぞれ11.5点くらい、分野3が46点。分野4が30点と、偏りがあります。
それぞれの問題が、学習指導要領の分野のどこにマップされるか、ということを考えてみました。
そうすると、いくつか出題されていないところもあることがわかります。
もちろん、4つの分野というレベルでは万遍なく出題されていますが、例えば「情報技術が人や社会に果たす役割と及ぼす影響について理解すること」は、出ているといえば出ているし、出ていないといえば出ていない。
そもそも学習指導はちょっとざっくりしているので、なかなか判断しづらいところではあります。そして、それぞれがこのような配点になっています。
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こうやって見ると、やっぱり分野1「情報社会の問題解決」は、知識問題になりやすいです。もちろん、知識問題が悪いというつもりは全くありません。
分野2は「コミュニケーションと情報デザイン」ですが、ここは曖昧な問題になりがちです。「情報デザイン」で正解があるものというのは、なかなか難しいですよね。
生徒たちに「この情報を伝えるためのデザインを考えてみよう」と言って、いろいろな作品が出てきたとき、あなたは正解、あなたは間違っている、とは言えないですよね。もちろん、「○○理論」、例えばゲシュタルトの法則とかがあって、それに対して何かを問うようなことはできるかもしれませんが、それはそれで、1回出してしまうと、次はもう使えない問題になってしまいます。
分野3の「コンピュータとプログラミング」は、我々大学側からすると、非常に問題が作りやすいです。先生方も、期末試験などで問題作るのは、楽しく作られるのではないかと想像します。
分野4は、なぜか「情報通信ネットワーク」と「データの活用」が両方入っています。
データの問題というのは、比較的出題しやすいです。ペーパーベースのテストでは大量のデータを使って分析をさせることはできない、という制約はあるとはいえ、問題は作りやすいです。
一方で、ネットワークの問題というのは、なかなか難しいです。私はネットワークの研究者ですが、大学で最先端の研究のようなところについて問題を出すのであれば、できなくはないと思いますが、皆さんが日頃使っているインターネットを問題の題材にしようとすると、結構知識問題になりがちで、出しづらいところがあります。
その意味では、出題しやすいところ、しにくいところはいろいろあります。
昔は、大学入試で知識問題もけっこう堂々と出題されていましたが、今は知識問題を出すと、「え?」となりませんか。これについては、いずれ揺り戻しが来るのではないかという気もしないではないですが、そういった社会背景もあって、分野1や分野2というのは、なかなか出題しにくい、という状況があります。その意味でも、われわれの研究の中で、どの分野が・どのような出題形態であれば出しやすいのか、いったことを突き詰めていくことができたらと思っています。
そもそもなぜ情報入試を始めるのか
ここまで大学入試の話をしてきましたが、ところでそもそもなぜ情報入試を始めるのか、という基本的な問いに立ち返ってみようと思います。
こちらのスライドは、2017年ですからかれこれ7年前に出て、大きな話題になった論文です。20年後(7年前の20年後なので、あと13年後です)には、今ある仕事の47%がなくなる、というものですね。
例えば、自動運転ができるようになるとドライバーが要らなくなる(これについては、運送業は2024年にドライバーが足りなくなるのが社会問題になっているのに、ということはありますが)。
その他にも、事務仕事のほとんどはなくなるのではないか、とも言っています。確かに、最近は企業でも生成AIが導入されて、事務作業が非常に簡単になったと言われていますね。そういう意味では、47%かどうかはわかりませんが、確かに仕事のいくつかはなくなるだろうと思います。
ただ、技術の発達によって仕事がなくなるというのは、実は今回が初めてではありません。
仕事というのは、長い歴史の中でどんどん様変わりしています。コンピュータが出てきたことによって仕事を失った人たちもいました。その名もまさに「コンピュータ」。実は、昔は「コンピュータ」は仕事の名前でした。日本では「計算手」と呼んでいたようです。
スライドの左下の写真は、実際に計算手が仕事をしているところです(Wikipediaより)。こんな感じで計算手がずらっと並んでいて、そこに複雑な科学計算など持ち込まれます。そうすると、この人たちが2~3人で計算して、結果を答え合わせして戻す、というのが計算手=コンピュータの仕事でした。
現在は、当然この仕事はありません。このように、仕事というのはどんどんなくなっているわけです。
仕事がなくなること自体が悪いわけではない。ただ仕事がなくなる代わりに、その人たちが次の仕事ができるようにしなければいけない、というのが大事だと思います。
映画『ドリーム』(原題: Hidden Figures)をご存じでしょうか。1960年代初めにNASAに勤めていた3人の黒人女性がいて、その1人がまさにこの「コンピュータ」です。IBMのメインフレームコンピュータが導入されることになり、彼女の部署が解体される、ということになる。ではどうするか、ということで、彼女たちは、「コンピュータが導入されるなら、プログラムが必要だから、私たちは皆でプログラミング(FORTRAN)の勉強をしよう」ということで、次の仕事を得ていくわけです。
「なぜ情報入試をやるのか」というときには、やはり今後、「情報」というものが大事になっていく。それがだんだんレベルアップしていって、小学校ではここまで、中学校はここまで、高校はここまで、そして大学だったらここまではやれるようにしよう、ということをしなければいけない。
そうなると、大学に入学するときにはここまでやれていないと、大学で次の段階のことを学ぶことができなくなる。そのためには、入試という形で高校までに学んだことが習得できていることを確認することが必要になります。ですから、第一義的には、子どもたちが大人になったときに、情報を武器にしていろいろなことができるような環境を作っていく。そのための情報入試だと思います。
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ということで、ここからは私のお願いになります。
まず、「情報入試をやります」と言ったとき、高校の先生方からは、「自由に授業ができなくなるから嫌だ」とすごく言われました。
我々も、別に入試自体をやりたいわけではありません。世の中がこういう状況にあるので、「情報」で教えることがどんどん高度化しています。だから、ここまではやっておいてくださいね、ということをお願いしたいのです。
そのとき、いわゆる試験対策のような形の教育を望んでいるわけではありません。授業では、社会とのつながりを意識してほしいと思っています。
ある高校の先生に、「生徒は『情報が嫌いだ』と言いながらスマホいじっているんですよね」と言われたことがあります。確かに彼らは、「タイピングができない」とか言いながら、フリックはじゃんじゃんやっているのです。
ある調査で、おもしろい結果が出ていました。テレビの視聴情報がネットワーク越しに取られていることは知っているが、ネットメディアで視聴情報が取られていることは知らないというのです。
これは、ネットワークの仕組みを知らないから、こうなってしまうのですね。「オンデマンド」と言うくらいですから、こちらからデマンドしないと情報は絶対に来ないのです。なのに、自分が見ているときに視聴データを取られている、ということに気づいていない。「情報」を学んでいるのに、これはおかしいですよね。しかも、これは高校生に対しての調査ではなく、社会人に対するものです。
また、「AIの時代になるから、インターネットはいらない」という人もいます。この意味、わかりますか。技術を知っていれば、こんなことは言わないですよね。もっと言えば、「5Gがあるから、光ファイバーはもういらない」というのもありました。これも、社会と技術のつながりが全くわかっていない、ということです。
その意味で、先生方が「情報」を教えるときは、常に社会とのつながりを意識していただけるとありがたいと思っています。
「情報」の授業では、社会とのつながりを意識して
では、どうしたらよいのか、ということで、明確な答えは持っていませんが、こういうことから考えたらよいかな、と思っていることをお話ししたいと思います。
まず、教科書だけが教材ではない、ということです。それを、教科書を書いている人間が言うわけですが(笑)。教科書に固執せずとも、高校としては、基本的には学習指導要領の内容が教えられればよいはずです。
では、社会とのつながりの中で、どのようなことをすればよいか、ということですが、例えば、最近はオープンデータのようなものが巷にあふれています。
ここにいくつか書いておきましたが、例えば教育用標準データセット、SSDSE(※4)というものがあります。
これは、総務省の外郭の統計センターが、教育のためにきれいにデータを整形して提供しているものです。リアルなデータなので、いろいろ分析をしてみると、世の中のことがわかります。こういったものを教材に使っていただくことで、生徒は社会とのつながりをリアルに感じることができるでしょう。
また、東京都はオープンデータカタログサイトを持っていますので、こういうものを使っていただいてもよいかと思います。
その他、RESAS(地域経済分析システム:※5)というものもありますが、RESASのサイトにはRESAS for Teachersというページがあって、そこの『科目で探す』には「情報」というタグがあって、「情報」の授業でどのように使ったらよいか、ということが書いてありますので、そんなところも参考にしていただけるとよいかと思います。
また、データが公開されているところでは、結構コンテストが行われています。SSDSEでは、「統計データ分析コンペティション」が行われていますし。東京都オープンデータカタログサイトでは、「都知事杯オープンデータ・ハッカソン」が行われています。これは、一般の大人たちも参加するのでけっこうハードルが高いかもしれないですが、賞金もけっこう付いています。また、RESASを使った地方創生政策アイデアコンテストも行われています。
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こういったコンテストを活用していただけるとよいかと思います。デジ連(デジタル人材共創連盟:※6)のサイトにも、いろいろなコンテストが紹介されていますので、こういったところも見ていただければと思います。
※6:デジタル人材共創連盟
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今日は、せっかくこのような機会をいただいたので、私たちがやっているコンテストも紹介させていただきます。
慶應義塾大学と企業が組んで「データビジネス創造コンテスト」(※7)という、データ分析コンテストを行っています。
データ分析とビジネスコンテストを足したようなコンテストで、アイデアだけでも勝てないし、データ分析能力だけでも勝てない。高校生から大学院生までが対象です。
このコンテストの特徴は、コンシェルジュと呼ばれる大学院生が3、4人いて、先生方が生徒さんの面倒を見られないときは、大学院生が研究のお手伝いをします。
ですから、「わからない」という生徒さんがいたら、コンシェルジュの大学生に指導を任せていただいてもいいですし、仮に本選に進めなかったとしても、審査員からのフィードバックが得られますので、何が悪かったのか、どこが良かったのか、ということを知ることができます。
さらに、本選には大体10チームが進みますが、本選に進んだ後は、プレゼンテーションのやり方について、企業のデータサイエンティストの人から直接アドバイスをしてもらうことができます。実際にデータ分析をやられている方々から指導を受けられる機会は貴重だと思いますので、ぜひご検討いただければと思います。
一昨年前までは年2回行っていましたが、今年度から年1回の開催になっています。来年度も年1回で開催をしようと思っています。今のところ、4月スタートで、9月に本選をする予定になっています。
「この事例を通して何を学んでいるか」を明らかにする必要
コンテストは、結構技術的な側面が大きいと思いますが、情報科の授業では、社会的側面ももちろん必要であると思います。先生方の授業の中でも、そういったところも扱っていただければと思います。
例えば、数年前にWinny事件というのがありましたね。最近は映画にもなりました。映画では、裁判に負けたところで終わってしまいますが、技術がわかっていない検察と、技術がわかっている弁護士がいて、法律は変わらないけれど、その解釈というところで戦っていく、という構図が垣間見られました。
Coinhive事件も同様ですね。Webサイトに暗号通貨 MoneroのマイニングスクリプトであるCoinhiveを設置した者が、サイトの閲覧者に無断でマイニングを行わせたとして、検挙された事件です。
Coinhiveの面白いのは、もともとマイニングのためのCPUリソースを少し供出することによって、広告を表示しない、という仕組みだったことです。「広告を出さないために、裏でマイニングをちょっとだけやらせてください」というのが、社会的に許されるのか、という裁判でした。
アラートループ事件というのは、女子中学生がJavaScriptを学んでいるうちに、無限にアラートを出せることに気が付いて、無限にアラートを繰り返すプログラムを電子掲示板に仕込んで、友達にアクセスさせたことで立件された、というものです。
個人的には、それで立件するのか?というところもありますが、その法律的背景なども含めて学んでいくと、結構楽しいし、考えさせられるのではないかと思います。
本学の入試を見てらっしゃる方はご存じかもしれませんが、法律の解釈というのは、裁判をしてみないとわかりません。ですから、今の法律はこうなって、裁判の結果こういうことが言われた。またこういう事件があったから、この法律がこのように変わった、といった背景を知るというのは、技術を学ぶモチベーションになるのではないでしょうか。
逆に、法律に興味のある人は、技術を知っていなければならない、ということにも気づいてほしいと思います。
あとは、日々出会う情報デザインや日々のニュースに興味を持っていただきたい。生徒たちは、よく「インターネットが壊れた」とか言いますよね。大体は単純な操作ミスですが、数年前に、Googleが、本来、配信する予定ではなかった経路情報を、誤設定でネットワークプロバイダに配信して、世界中、特に日本のネットワークがまひした事件がありました。そういった事故の背景を技術的に解説する、というのはおもしろいと思います。
あるいは、最近もミスにより、丸1日にわたってあるキャリアの携帯が使えなかった事件がありましたが、そういうときには、必ず総務省から報告書が出ます。その報告書を皆で読むだけでも、技術の仕組みがわかると思います。
また、マイナンバーで、同じ番号が違う人に割り当てられた、といった事件もありましたが、あれがなぜ起きてしまったのか。巷には、そういったいろいろなニュースがあふれていますので、これらをうまく使っていただけるとよいのではないかと思います。
ただ、こういったものを教材として使うにあたって注意しないといけないのは、学ぶべきことがはっきりしていないと設計ができない、ということだと思います。
今日のお話の前半で、知識体系に対するコンセンサスが重要だというお話をずっとしてきましたが、ここがやはり大事だろうと思います。
例えば、先ほどのCoinhive事件について、これで何を教えるのか、それは学習指導要領のどこにあたるのか、ということを、きちんとマッピングしていかないと、教材として使うのは難しいと思います。
「先生は実習ばかりで、受験対策をやってくれない」と言われたときに、「いやいや、きみの成績はちゃんと上がっているよ」と言えなければいけない。そのために、きちんとしたアセスメント手法が必要だと思います。
そして何はともあれ、「情報好き」を育てるために成功体験を与えてほしいと思います。
最近、神奈川県のある高校で生徒さんたちの研究発表のポスターを見たのですが、そのときのアンケートで、「自分に科学のスキルがあると思いますか」ということを、その活動を始める前と後で聞いていたのですが、「はい」と言った人の数が、実施後の方が減っているのです。
これはなぜかというと、おそらくやってみて初めて自分がわかってないことに気づいたのですね。高校の先生方は、「スキルがあると思う」という回答を上げたいと思われるかもしれませんが、そうではなくて、足りないところに気づいたところから学びが始まるのだと思います。
ただ、気を付けていただきたいのは、自分ができないことを知ると、そこで苦手意識が生まれるのですね。ですから、そこで少し成功体験をしたり、あるいは褒めてあげたりすることを通して、「情報」に対する興味を引き出していただけるといいなと思います。
今一度、情報教育の役割を見直してみる
最近、「誰一人取り残さない、取り残されないデジタル社会」ということが言われます。
デジタルによって便利な社会が実現しますが、同時に高齢者や障害を持った人など多様性を考慮した、徹底的に使いやすいシステム導入が必要だ、ということは確かでしょう。
「誰一人取り残さないデジタル社会」と言われると、「全員がデジタルを使えなければいけない」と思ってしまうかもしれませんが、そうではなくて、多分この図に描かれていることが大事なのだろうと思います。
人間には得手・不得手があり、デジタルが不得意な人というのはいます。そういう人は「普通の人」に支えてもらえればいい。普通の人は「デジタルが得意な人」に支えてもらえばいい。デジタルが得意な人は、「世界をリードするデジタル人材」に支えてもらえばいい。「誰一人取り残さない」というのは、みんなが支え合って、一歩先のデジタル社会に行くということだろうと思います
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このような社会の中での教育の役割というのは、「デジタルが不得意な人」を「普通の人」にする。普通の人を「デジタルが得意な人」にする。そして、「デジタルが得意な人」を「社会をリードする人材」にすることであると思います。
情報が得意だったり、不得意だったり、いろいろなレベルの生徒さんたちがいると思いますが、それぞれのレベルに応じて、しなければならない教育は違うような気がします。
先生方も大変かもしれませんが、これからは人に合わせた対応が必要になってくるのではないかと思います。
情報教育の役割というのは、次世代を担う若者が来るべきデジタル社会で困らないようにする必要があります。トップレベルのICT人材を育てるためだけではなく、未来を生きる全ての人にとって行われなければならないものです。
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情報教育を受けた人は、急速な情報化に付いていけない高齢者や、情報が不得意な人など弱者を支援することが期待されている、ということを念頭に、教えていただけるとありがたいと思います。
また、我々のような大学、高等教育機関では、分野を問わず全ての分野において、デジタル社会を前提として活躍し、牽引できる人材を輩出しなければいけない、思っておりますし、情報分野の高等教育においては、情報技術で国際社会に貢献できる人材の育成をしなければならない思います。
情報教育の役割の続きです。文理問わず、全ての分野において、デジタル社会を前提とした教育をしなければいけないということ。
よく、情報教育の目的は、高度デジタル人材の育成、プログラマーを育てるためなのか、といった話はありますが、そうではなくて、社会全体の裾野を広げていくために、情報教育が必要である、ということです。
そして、大学教育では、情報技術で国際社会に貢献できるような人材を育てていかなければいけないと思っています。
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2023年度東京都高等学校情報教育研究会研究大会 基調講演より