基調講演
文と理を結ぶ情報教育、基礎情報学からのアプローチ
~人間と機械の理想的なコラボレーションで、「人間のための情報社会」を構築するために
東京経済大学コミュニケーション学部教授・東京大学名誉教授 西垣通先生
4.生命体の直観力とコンピュータの計算力を合わせることで新たな情報社会を創る
集合知にも、リーダーが必要
最後にもう1つ、例を挙げます。1999年、当時のチェスのチャンピオンのカスパロフと、世界中から募った「ワールドチーム」がインターネット上でチェスの対戦をしました。1手の制限時間が24時間で、のべ300万人以上の参加者がネット上のフォーラムで合議をして、投票して一番多かったのを次の手としました。結果は、かろうじてカスパロフが勝ち、「こんなに大変な対戦はなかった」と言わしめたそうです。
この3年前に、前チェス王者のカルポフが同じようなことをやったのですが、この時はカルポフの圧勝でした。何が違うかというと、この時は1手の制限時間が10分で、話し合いをせず、とにかく投票するだけ。これでは勝てませんでした。一方、カスパロフの時は、話し合いをするだけでなく、フォーラムにリーダーがいました。全米女子チャンピオンになったことのある15歳の女の子が分析表を作り、それを見ながらディスカッションをしたのです。これで、無敵のチャンピオンといわれたカスパロフを追い詰めました。
これは、非常に重要な話です。つまり、集合知でも、ただ投票するだけでなくリーダーが必要であるということ。みんなの意見をまとめ、ナビゲートしていく機能が重要で、そういう人が出てくると、集合知がだんだん生きてくるのです。別に専門家ではなくてもみんなで、ああしたらいい、こうしたらいいという議論をネット上でしながら正解を模索していく。この手続きは、すぐれた情報社会を作るために決して無駄なことではないと思います。
普通の人でもITを上手に使えば、チャンピオンを倒せる
ところで、カスパロフは1997年にIBMのディープブルーというコンピュータと対戦して負けています。先日は、永世棋聖の米長邦雄さんがボンクラーズという将棋のソフトに負けたとニュースになっていましたが、これらを「コンピュータが人間に勝った」というのはおかしいと思います。コンピュータは自分でプログラムを作ったわけではなく、そのハードやソフトの開発をした人達こそ偉い、と私は申し上げたい。ただし、ディープブルーもボンクラーズも、非常に高価なシステムです。いろいろなプロセッサやサーバーを組み合わせて、ものすごい計算量でようやく勝っているのです。逆に言えば、人間の直観力はそれだけすごいのです。
さて、もし99年の対戦の時、ワールドチームのメンバーがそれぞれ簡単なパソコンで武装していたらどうなったでしょうか。せいぜい10手先を予想するような簡単なチェスのソフトでも、カスパロフは負けたかもしれません。逆に言えば、ITを上手に使うことによって、個々の人間の力を増すことができるのです。しかも、専門家ではなくて普通の人たちがネットで力を合わせることで、いろいろな問題を解決できる。これは生命体の直観力と、機械の持つ計算能力とを上手に組み合わせたアプローチです。このような役割分担を考えないで、人間も機械も同じようなものだと考えているから、妙なところに行ってしまうのです。両者の違いをきちんと踏まえた上で、人間のためのIT社会というものを構築していかなければなりません。
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●西垣通先生プロフィール
1948年生まれ。東京経済大学教授、東京大学名誉教授
東京大学工学部卒業後、エンジニアとして日立製作所に入社。このときOSやネットワーク、データベースなどの性能設計や信頼性設計を研究し、客員研究員としてスタンフォード大学に留学。日立製作所に戻るが、過労で倒れたのを機に退職し、明治大学教授、東京大学社会科学研究所教授、東京大学情報学環教授を歴任。技術を基礎に持ちながら、文理両方の分野にわたる脱領域的な情報学研究を拓いている。著書に、『デジタル・ナルシス: 情報科学パイオニアたちの欲望』(1991)、『こころの情報学』(1999)、『生命と機械をつなぐ知: 基礎情報学入門』(2012)、『集合知とは何か:ネット時代の「知」のゆくえ』(2013)他多数。