講演
IT戦略が初めて閣議決定され、ますます重要性が高まる情報教育
サイバースペース時代---情報教育の役割
慶應義塾大学環境情報学部(SFC)学部長 村井純先生
※日本情報科教育学会第6回全国大会(2013年6月29日・30日、東海大学 高輪キャンパス)
IT戦略が初めて閣議決定された!
6月14日に、「世界最先端IT国家創造宣言」が閣議決定されました。IT戦略が閣議決定されたのは初めてなんです。普通は本部決定といって、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)という、総理が議長で、関連の大臣と我々のような有識者がいるところで決めるわけです。一方、閣議決定というのは全閣僚の決定です。閣議決定で、全ての分野でIT戦略にコミットしましょう、というのは、大変大きな意味を持ちます。その中に人材育成・教育が入っていますので、これもやらなければ、と。たぶん、今までの中で一番強いものでしょう。
アフター・インターネット世界では日本の活躍の余地がある
先日、ソニー・コンピュータ・サイエンス・ラボラトリーの25周年のセレモニーで、居並ぶ錚々たるメンバー一人ひとりに、「この25年で一番変わったことは何か? 25年前に予想できなかったことは何か?」という質問がされ、そこにいた全員が「インターネット」と言いました。インターネットがあるとないとで、我々の生活、仕事や勉強の仕方も、全然違ってしまった。つまり、ビフォー・インターネットとアフター・インターネットは全く違う社会になってしまったと言うのです。
国連も、「インターネットにアクセスする権利はヒューマンライトだ」(国連人権特別報告官 フランク・ラ・ルエ氏、2011)と言うようになりました。そうすると、我々が情報教育を考える時も、インターネットやコンピュータが使えるようにする教育ではなくて、アフター・インターネットの先に何をするのか、ということを考えなければならないと思うのです。
先日、慶應義塾大学SFCの卒業生でフィリピンの政府から勲章をもらった人がいます。この人は、大学院在学中に、フィリピンからスカイプを使ってマンツーマンの日本人向け英会話レッスンをするベンチャー(※)を立ち上げているのですが、この講師の多くは、フィリピンの元ストリートチルドレンなのです。フィリピンの孤児院やNGOと連携し、彼らをきちんと教育して、英会話講師として雇用して自立を助ける。そういったグローバルな展開がいくらでも、学生でも、できる。それがまさにアフター・インターネットじゃないでしょうか。
※株式会社 ワクワーク・イングリッシュ 代表 山田貴子氏
インターネットを一番使い易い環境は日本にあると言っても言い過ぎではありません。通信速度の平均値は、日本がものすごく速いのです。韓国もスウェーデンも頑張っていますが、広く、安く、使い易いのは日本。そうすると、これから先アフター・インターネットの社会をどうやって作るのかというところで、我々が頑張らないと面白くない。世界のインターネット普及率が30%から2020年には80%に伸びてくる世界の中に対して、我々が新しい知恵を作ることで日本人が大きな貢献ができる、日本人が活躍する余地があるのです。産業、教育、文化の面から、日本にとっては非常に重要な局面が、これからの7年、10年で起こってくると考えていいと思います。
メディアの中心にインターネットがある
アフター・インターネットの背景として考えておくべきことは、メディアがどう変遷していくかということです。
たとえば、ビデオは今、ユーチューブに始まって、IPTV、スマートTVなど、インターネットの上のトラフィックとして大きなシェアを占めています。放送事業は、いろんな形であの手この手でインターネットの事業と統合されたサービスを展開している。つまりブロードキャストという基本的には電波を使ったナショナルミッションを帯びたサービスが、いろいろな形でインターネットというデジタルコミュニケーションを利用し始めていると言って良いと思います。
インターネットの世界を作るワールドワイドウェッブで使われているのは、現在はHTML5です。HTML5を基本としたウェブのシステムにはビデオのエンコーディングとデコーディングの機能が入っています。現在のテレビはHTML5のブラウザになりつつあります。あるいは街角にあるデジタルサイネージのスクリーンはHTML5のブラウザです。みんなが持っているスマートフォンもHTML5のブラウザです。ということを考えると、世の中の表示デバイス、ディスプレイのようなものはすべてHTML5で対応できるということです。
そうすると、情報教育において何を教えればいいのかというと、基本的にはブラウザの上でものが書けるということができれば、インターネットの世界では当分使えるだろうと思われます。クラウドでも、この辺の技術に依存するだろうと思われます。
電話について言えば、光ファイバーの高速のネットワークが導入され、ワイヤレスも高速な通信ネットワークになり、つまり急激にインターネットの世界に入ってきています。携帯電話は、新しく買えばLTE=ロング・ターム・エヴォリューションになっている。ビジネスモデルとしては、電話はインターネットとぜんぜん違ったはずなのに、インターネットやLTEの上で使っている人が意識せずにその上でソフトウェアとしての電話を使う環境になり、区別がなくなっています。
つまり、放送の電波、電話の線つまり光ファイバーと無線、携帯電話、Wi-Fi、その他衛星なども入って、一つのコンセプトで新しいサービスができるようになったのもアフター・インターネットの一つのインパクトだと思います。
インターネット:未完のミッション
しかし一方、インターネットにもまだまだ課題がある。6つ挙げましょう。
まず、インターネットがやらなかったのは、「人間の抽象化」です。電子メールなどでは、勝手に何種類もIDを持つことができます。一方で、どこに行っても私は私というアイデンティティをネット上でどう実現するかは、プライバシーや権利にとって重要なインターネットのこれからの課題です。
次は「位置」ですね。日本の携帯電話は、経度と緯度を正確に割り出すデバイスが安く、100%ついているので、屋外に出れば、全て位置が正確にわかるようになっています。本当は画期的なことですが、もはや普通になりました。ただし、まだ全然やっていないのが、「高さ」です。GPSというのは、高さに対しては精度が悪いのです。しかし、1Fと2Fでは意味が全く異なる。床の段差もバリアフリー社会では問題です。経度と緯度が分かっただけで、これだけいろいろなことが実現したのですから、高さ情報が取れれば大きく変わることが期待されます。
それから「時刻」。インターネットの最大の弱点です。インターネットの原理というのは、「パケットを投げるぞ」と言って、落ちちゃったらもう一度再送するのです。再送するということは遅れていくこと。データが行き着いたデバイスはみんな正確な時刻を持っていますから、それらと同期するのは、大変チャレンジングなことなのです。
それから「実時間」。地球上どこにいても一緒というのがサイバースペースですが、光の速度だけはかかるので、遅延が必ず発生します。これをどのようにとらえるかを決める必要がある。
それから、「開放」、オープンであることがまだ足りないのです。電子教科書とか学校webの環境とかがオープンでなければならないのは、先生方が「この環境は良くないな」と思った時、直せるようにしないと、いい教育の環境はできないからです。しかし、情報システムは、今はなかなかオープンではありません。A社のものとB社のもので違うし、医療システム、教育システム、行政システムなど、それぞれの中でバラバラです。これらがどうやったらオープンなアーキテクチャー上で実現できるのかというのは、やはり解けてない課題です。
最後は、「安全」。これはインターネットの上では不可能なことです。デジタルデータというのは複製が正確にできるので、プライバシーなど個人の安心と共にコピーして盗まれる可能性を前提に、安全な技術を作らないといけません。
以上6つの解けていない問題を並べていますが、私は楽観的なので、これらは全て解けるという自信があってお話をしています。解けるというのは完全に解けるということではなくて、この問題を認識した形で前に進めるシステムを作るということです。
情報の役割は、夢を実現させるための「台」
イソップの「キツネとブドウ」のあの絵を思い浮かべてください。頭の上にいっぱいブドウがなっていて、キツネが飛びついているあの絵です。これに飛びつきたいキツネは、とても大事なモチベーションを持っているのです。ブドウは、夢を実現したいとか問題を解きたいとか、そういうことの象徴だと思います。そうすると、インターネットの役割は、ブドウに手を届かせるための「台」であると思います。
つまり、情報の教育というのは、子供たちが新しい夢を実現するために、問題を解くために、一人ひとりの人間に対して、あるいは社会に対して、「台」を提供するものだと考えられるのです。
学習指導要領をよく見ると、ネットワークとか情報の力を、あらゆる科目が恩恵を受ける、あるいは、そこでの指導に生かすべきだとあります。
■学習指導要領
第1章 総則
第5款 教育課程の編成・実施に当たって配慮すべき事項
5 教育課程の実施等に当たって配慮すべき事項
(10) 各教科・科目等の指導に当たっては,生徒が情報モラルを身に付け,コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を適切かつ実践的,主体的に活用できるようにするための学習活動を充実するとともに,これらの情報手段に加え視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図ること。
それで、すべての教科に情報の匂いを入れた方がいいと考えました。その際、全ての教科の基盤として情報を教えるとよい、しかし、これをやると情報の教員の負担や人数をものすごく増やさなければいけない。それに、それぞれの教科には、それぞれの情報という部分があります。というわけで、やはり、各教科の先生がそれぞれの教科で、情報の力、あるいはプログラミングで新しい問題を解く、あるいは新しい夢を実現する、そういうことを教えられるようになってくれた方がいいなと思っています。
私たちは、アフター・インターネットの世界で生きていて、近い将来には、インターネット利用率が30%から80%の世界に変わり、世界中が日本と同じような状況になっていく。その世界で活躍する子ども達をどう育てていくか。それは非常にやりがいがあることで、情報教育という軸の中でやる責任はすごく大きいと思います。この情報の教科というものが、どういう教育の中で他の教科と関わっていくのかということは大変重要なことだと思います。なぜなら、冒頭で申し上げました閣議決定でもそうでしたが、政策を含めた全ての分野で、情報が大変重要な鍵となるからです。