情報処理学会第77回全国大会
パネル討論:情報処理学会は情報教育のために何をすべきか
<パネリスト>
久野靖先生 (筑波大学ビジネスサイエンス系教授)
西田知博先生 (大阪学院大学情報学部准教授)
田中規久雄先生 (大阪大学 大学院法学研究科准教授)
加藤和幸先生 (金城学院高等学校)
田邊則彦先生 (清教学園中・高等学校)
<司会>
中野由章先生 (神戸市立科学技術高校)
■教育は社会のためではなく子どものために
中野先生:まず久野先生にお考えをおうかがいしたいと思います。一つは、先ほど先生方のお話に出てきた、「結局、子ども達にどんな力を身につけさせるのか」ということ。もう一つは、産業界との関係です。教育と社会は不可分なので、職業教育・専門教育の基本には「産業界としてはこういう人材を育成してほしい」という意向が反映されることは当然ありますが、初中等教育での情報教育で、それを全く意識しなくてよいのか、あるいはした方がよいのか、その辺りをどのようにお考えなのか、お話しください。
久野先生:僕は、産業界が何を求めるかなどということは、考えるのをやめた方がよいと思います。やはり初中等教育は、子どもがのびのびと学び、自分の能力を伸ばす場であるべきだと思います。産業界は人材が不足しているので、「こういう人材を育ててくれ、こういう能力をつけさせてくれ」と言いますが、それに対しては「そうですね」と言って放っておけばよいと思います。
大事なのは、子どもが自発的に学ぶ機会を与えられることです。そのために、例えばものを動かすために、プログラムを自分でまっさらなところから一生懸命考えて組んで、それが動いたらすごく嬉しいですよね。プログラミングは、そういう嬉しい経験を与えるきっかけの一つになります。だから、何が何でもプログラミングをやれと言うわけではないですが、なかなかそこがご理解いただけないところかと思います。
中野先生:「子ども達のために」という点では、たぶん皆さんが同じだと思うのですが、では子ども達にどんな力をつけさせたいのか、彼らがどうなってほしいかという認識については、多少のずれがあるような気がします。久野先生がお考えになっていらっしゃる、「子ども達につけさせたい力」というものを、他の先生方との対比の中でもう少し具体的にわかりやすく教えていただけますでしょうか。
久野先生:コンピュータはいろいろなことができます。でもコンピュータができることというのは、結局プログラムを組んだからできるものなのです。だから僕個人は、コンピュータを「道具」として使うと何でもできるようになるというのはすごくハッピーなことだと思っているので、自分の理想は皆がプログラミングを自由にできるようになる世界なのです。ただ、それは僕の趣味の押し付けですし、無茶なことだと思うので、そうは言いません。でも、プログラミングをすることで子どもに考える機会を提供するのは良いことだと思っている。そういう意味で言ったのです。
中野先生:田中先生は、「教育は国のためではなく子ども達のためにある」とおっしゃいましたが、その子ども達のために大人はどのような支援をすればよいのでしょうか。
田中先生:情報処理学会の『教育ビジョン2011』(※)には「誰もが主体的に情報技術に向き合う社会を実現する」ことが目標であると書いてあります。つまり、「社会を実現する」のが目標ということになります。一方学習指導要領では、「社会の情報科の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる」と、子どもに目が向いていて、社会を実現するのが目的ではない。そういう社会に主体的に向き合える子どもを育成することが目的なのです。情報処理学会のビジョンと学習指導要領の違いはそこではないかと思います。
※https://www.ipsj.or.jp/release/vision20111227.html
中野先生:その子どものための支援として大人は何をすべきか、ということで言えば、大人の支援というのは、結局大人のもくろみの方向に子どもを引っ張っていくことになりますよね。ですから、「子どものために」と言ったときに、その「子どものためにすること」とは具体的に何なのか。
さらに、情報教育で我々大人は特に何を意識すべきなのか。田中先生がおっしゃるように、『教育ビジョン2011』で謳われていることと、学習指導要領で謳われていることはすでにズレがあるわけですよね。
田中先生:教育基本法には、究極、『国』という文字があるので(1条、5条2項)、やはりそこなのか?とは思います。では個別に何が必要なのか、ということになると、「生きる力」ということになるのではないでしょうか。
久野先生:『教育ビジョン2011』に言う「誰もが主体的に情報技術に向き合う社会」というのは、一人一人が情報技術に主体的に向き合えるようになったことの結果であると思うので、学習指導要領も『ビジョン2011』も、目指すところは同じであって欲しいと思います。言葉として、「誰もが」でなく「個人が」なるという方がよかったのかもしれないと今は思います。個人がそれぞれ向き合うようになったら、最後は社会全体が向き合えるようになるのではないかと思いますが。
田中先生:個人の集合体が社会なのか、ということについては、私は社会学の専門家ではないので何とも言えませんが、私自身は、社会を実現するために個人が切り捨てられる部分があり得る、つまり「個人の集積イコール社会」ではないと思いますし、そこは譲れないところです。『教育ビジョン2011』を最初に読んだ時に、子どもより社会なのか、もっと言えば社会の先の国家なのかという感じがしてしまった、というところはあります。
久野先生:『教育ビジョン2011』で、「社会」という言葉を使っている背景には、情報技術者の立場が不当に低いというイメージがあって、それを何とか改めていきたいという気持ちもありました。教育と社会の在り様というのは、確かにいろいろな見方があると思っています。私たちが「社会」という言葉を選んだことへのご批判は、今回承っておきたいと思います。
■「数学」では担えない「情報科」のねらいとは
中野先生:先ほど(の講演で)田邊先生から「データリテラシーを数学でほとんど扱っていない」というお話がありましたが、確かに今まで全く無視されてきたのが、今回の学習指導要領の改訂で随分と流れが変わってきていると思います。その辺りを、数学という切り口からお話ししていただきたいのですが。
加藤先生:おっしゃる通りで、数Iで「統計」が必修になります。ただ、数学の統計に対するアプローチというのは、「与えられた問題を、統計的な数学のツールを使って解いて行こうという」ことで、データリテラシーというものではありません。そこはやはり、教科「情報」としてはもっと違うところからアプローチしていきたいというのが、個人的な意見です。数学で扱う統計では、「代表値を求めなさい」とか「相関関係を出しなさい」というもので、正しく計算することが目的です。情報科では、もっと社会科学的な分析が入ります。私がやっているのは、ある問題があって、それに関係するデータをネットから取り出して、自分なりに数学的な手法を使って分析し、考えを書く、という問題解決学習です。そういうことをコンピュータというツールを使って、実学的・社会科学的に、自分で何か解決したいという要素を盛り込ませるような形に持って行くのが大事だと思います。データリテラシーというのはそういうことです。これについては、数学とは別のところでこういったことをする取り組みをしています。
田邊先生:数学における統計教育というのは、「答えを求める」というところに意義があるのですね。でも、データリテラシーというのは、データをどう読み解くかというところに主眼を置くべきであって、そのデータを読み解くためにどういう手法でデータを解析して、そこから何がわかったのか、あるいは、何がわからなかったのか、どういう問題点が浮かび上がっているのか、それに対してどういうアプローチで自分は解決しようとするのか…そういうことをまとめていく、まさにアクティブラーニングそのものにつながっていくのではないかと思います。
それが現在、小学校、中学校、高校でそれぞれバラバラに行われているということが問題なのかもしれません。理科でも社会科でも、国語でも扱える、といろんな教科で扱いながら、それをよりスマートに示すために、情報教育の果たす役割というのは、実は結構あるのではないかと思います。数学に任せていただけではできない部分があるだろうなという気がします。
中野先生:今のお話をうかがっていると、「数学」対「情報科」というのは、何か「理学」対「工学」みたいなニュアンスを受けたのですが、だとすれば、「情報科」というのではなく、いわゆる「情報工学」とか、そんな話にもなって行くのかなと思うのですが、その辺りはいかがでしょうか。
そしてもう1つは、数学や理科とかは体系化しやすいという感じですが、今のお話で、問題解決学習のように実学的であったり、社会科学的要素を含めたり、というのは、その時代背景で内容が大きく変わっていくものであったり、体系化しにくいものであるように思います。そうすると、数学や理科と情報科とはうまく棲み分けられないような気がしなくもないのですが、それはいかがでしょうか。
久野先生:今、「問題解決学習」が高校の情報科の中に書かれていて、実際情報科の授業の中ではこれが一番行われているのですが、一方なぜこれが情報科で扱われなければならないのかというところがはっきりしていません。たぶん、情報科ができた後で、その存在意義をいろいろ挙げなければならないので、いっぱい抱え込んだというところもあるような気がします。
個人的には、情報科の中でやるべきことは、コンピュータで何ができるかということがわかって、「こういう問題はコンピュータでシミュレーションできる」とか「アルゴリズム的に解ける」とか、そういうことを高校までに学んでほしいと思います。さらに今情報科の中に入っているブレーンストーミングやKJ法などの扱いが、将来もそうであるべきかどうかは、ちょっとわからないですが。
中野先生:問題解決というなら、「総合的な学習の時間」が中心になって担うべきものではないか、という気が個人的にはするのですが、情報科が2003年から始まってもう10年以上経っているのに、いまだにその棲み分けが混沌としていて、高校の現場で「総合的な学習の時間」は、ほとんどロングホームルームみたいなところがあります。ここにいらっしゃるほとんどの方は、高校で情報科なんて学んでいないと思いますが、では問題解決のやりかたを学ばなかったのかと言えば、たぶん学んでいるわけです。今までいろいろな教科の中に埋め込まれていたものが、より学びやすい環境になっていて、情報科もそうなっていると思うのですが、その辺りの棲み分けをどうすべきでしょうか。
田邊先生:まず言えるのは、高校での教科「情報」それから共通教科「情報」がスタートして、非常にレベルの低いものをずっと扱ってきてしまいました。そういうところを一度整理しなくてはいけない。その結果、「総合的な学習の時間」に担うべきものはそっちにお任せする。あるいは、教科横断的にやって行くというところで協力し合う。そういう形に変えていかなければいけないですね。それは個々の教科についても同様で、例えば数学の授業と情報科の授業の棲み分けをして、協力すべきところは協力して、というふうに。
そして情報A、B、Cと言われていた時代の情報Aの内容は、もう中学に渡してしまえばいいと思います。共通教科「情報」の『社会と情報』の中の2/3近くの内容も同様です。そして、高校での情報教育は何をやればいいのかということをもう一回考え直して、リストラし直した方がいいと思いますね。それは先ほどから話題になっているいわゆる操作教育で満足していいのか、ということにつながってくると思います。
やっと教科「情報」の中で、「実習に充てる時間の1/2以上、1/3以上」という枠が外れましたから、何とかこじつけで実習をやらなければいけない、という時代は終わったと思うのです。本当に教科「情報」の中でやるべきことをやって良い、そういう時代を迎えたと思うのですね。ですから、これからは情報処理学会が大手を振って、「こういうことをやったらいいんじゃないですか、こういうことをやりましょうよ」と主張して良いのではないかと思います。
■情報処理学会で教材教具開発も
中野先生:そうなってくると、先ほど「もっと高いレベルの教材教具の開発を、情報処理学会が担わなければいけない」というご意見をいただいたと思いますが、西田先生、そういうことを情報処理学会の中でやって行くとなれば、やはりCE研(コンピュータと教育研究会)関係の先生方が中心になっていくかと思うのですが、そのために我々はどうすべきでしょうか。
西田先生:教材や教具の開発はCE研や、情報処理教育委員会が担っていくべきだと思います。ただ今までは、例えば試作教科書を作っても、「ザ・大学の情報の先生が書く教科書」になってしまっていて、「見てはもらえるけどあまり使ってもらえない」というところはあったと思います。
今日、現場の先生のお話をうかがうと実にいろいろなアイデアがありますから、先生方が授業の中で使っておられるマテリアルも多くあると思います。一方で、CE研には理論には精通しているし、プログラム書くのが好きという人は多いのですが、今の生徒に響くようなわかりやすく面白い教材を作ることは苦手です。僕自身も高校の授業を持っているのですが、大学で教えているときよりも教材を作るときの難しさを実感しています。そこで、CE研に現場の先生方にもっと出てきていただいて、アイデアを出していただき、他の参加者と交流を広げてもらって、新しい教材を生み出していくのがこれからのミッションかと思います。
教材を作る際の発想という観点で自分のことを考えてみると、私は田邊先生が昔教えていたとおっしゃっていたような、パソコンが登場した当初から楽しく遊んでいた子ども達と同じ世代なんですね。パソコンもネットもプアな環境からだんだん良くなる過程を経験してきたので、そういう経緯を引きずってしまうところがあります。でも、お話にあったように、今の子どもたちには初めからiPadのような便利な道具があって、例えばそれで撮った動画を簡単に加工して活用するような柔軟なアイデアがすぐに出てくる。そういう発想力を持っていることを我々自身はあまりわかっていないような気がするので、現場の先生方に研究会やシンポジウムに来ていただいて、教材の開発者との意識共有を促進していけたらいいのかなと思いました。
田中先生:その際に、情報科の基本は技能と科学とモラルですから、この3つはどれも行っていかなければいけないと思います。技能で言えばWord、Excelは中学までで終わるとか、モラルは中学で終わって高校では著作権や肖像権などの法律を学ぶとか。そうしたことを通して、情報科学教育学において協働できる学者を育てましょう、ということを言いたかったのです。
<質疑応答>
■現場に求めること ~情報教員第二世代に入って
大学教員:高校の現場で加藤先生や田邊先生はすごく先進的だと思いますが、一方で情報教育にそんなに頑張らなくてもいいよという先生もいると思います。どういうチャンスを与えれば変わって行くか、先生方はどう思われますか。
加藤先生:確かに、先ほどお話に出たように、教科「情報」に今までの教育でなされていない部分を全部持たされている実態はあるかもしれません。情報倫理もそうですし、問題解決の手法であるとか、操作活動であるとか、そういうものを全部持たされています。「とにかくコンピュータがあるのだからやれ」ということでスタートした我々第一世代は、指導がバラバラで、学校によってすごく難しいことをやっていたり、逆にWord、Excelの使い方しかやらない学校もあったりします。そうする中で、ニッチな感じで空いているところ、足らないところを情報科で補ってとりあえず今の教育をやれるようにしなさいという形だったのです。
ところが、情報工学を学んだ人が情報科の新任で入ってくる第二世代になるとそうではない、と私は信じたいです。そういう若い先生達が、きちんと教科「情報」はどうあるべきかということを考えて、高校生に合うような教材をご自身で開発したりし始めています。やはり第一世代は黎明期というか、当然、無政府状態だったわけですが、若い人が出てきていますので大丈夫ではないかなと。また、そうあってほしいと思います。
そういう意味で、情報処理学会からは『情報の科学』について、「こういうことなら高校生でやれるだろう」といういろいろな素材や題材を提供していただき、それを高等学校の教員がかみ砕いて、生徒にわかる魅力的な教材にして伝えていく、そういう形を望みたいと思います。
田邊先生:私も、確かに黎明期を過ぎて次の時期に入ってきていると思います。ただ、私は今、同志社大学と関西大学で授業を持っているのですが、彼らが大学生として勉強するのにふさわしいだけの、情報を上手に処理する力を持って入学してきているかといえば、これはかなり厳しいです。だからそれを考えると、操作教育というものもある程度やっておかなければいけないのですが、その操作教育をやる中でどういう力を養ってもらいたいのか、というところをきちんと整理する必要はあると思います。例えば、言語技術をしっかり学んだ上で、アカデミック・ライティングの基本的なところは高校時代で終えていて、大学に入ったらもう「引用とは」なんてことはやらなくても済むようにしておかないといけないのではないかと思います。そういう意味で、もう一回組み立て直すことが必要な時期が来ているのではないでしょうか。
そういったことを、高校全体でというより、僕は情報科がやるべきだと思います。もちろん言語技術は国語科にもやってもらわなければいけないし、社会科の時間にレポートを書く時も扱ってもらわなければいけないことだと思いますけれど。情報科の授業で、WordやExcelの使い方とか、あるいはPowerPointでのプレゼンも、それ自体に目的が置かれてしまっているのが間違いなのではないかと思います。
久野先生:私達は教育系の学会ではないのでなかなか簡単ではないですが、小学校・中学校でも操作教育をしてほしい、とお願いしたいです。学習指導要領に書いてあることは非常に総花的で、どこの単元で何をやるかというのがはっきりしない。先ほどの話にもありましたが、国語科で作文を紙に書くのも大事ですが、小中学校でも作文の半分、特に論文はワープロを使って書くようにして、その中で内容を並べ替えたり挿入したり削ったりという、ソフトの操作を学べばいいのです。そうすることは国語科にとってもいいことだと思っています。プログラミングにしても、論理的思考力を育てることに非常に有効です。そういう視点で、今情報科でやっていることを見直し、こういうふうになって欲しいということを、いろいろな人から叩かれながら言うというのが私たちの役目なのではないかと思います。
■教員間での教材の共有を
大学教員:情報の教員がなかなかいい授業ができない原因に、加藤先生が作られたプログラムの教材のような優れたものが皆にシェアされていないことがあるのではないかと思います。で、情報処理学会として教員支援のためにできることとして、そういったすぐれた教材を紹介するポータルを作ってあげることを提案します。話を聞いていて感じたのは、他の教科の先生なら、教科教育法として確立された一般的な教え方を学んで身につけて、それで授業に臨むことができますが、情報の場合は教科書をポンと渡されて、あとは自分でやって、ということになる。そうではなくて、もっとエッジの立ったいい教材をみんなでシェアする場を、学会が提供するようなことを何かできないのかと思いました。
田邊先生:確かに、教員は情報を共有するのが下手です。ですから、誰かが率先して共有するということが必要な時期を迎えているのではないかと思いますね。そのための仕掛けをどこが用意するのか、という点ではいろいろと議論があると思いますが、情報処理学会がやってくださるのであれば、ぜひ使わせていただきたいと思います。
素敵な教材を作っても、先生方はみんな引き出しにしまってしまうのです。その引き出しにしまったものを引っ張り出して、もっとこうしたら良くなるよという議論が活発に行われるような、そんな教材開発の流れが出てくるような仕掛けを是非お願いしたいですね。
加藤先生:その通りだと思います。いい教材があって、それを使おうと思っても、そのままではやはりどこか使いづらい。自分のやり方に合うようにカスタマイズできることが大切です。女子校か男子校か、進学校か進路多様校か等々、全ての学校に適用させようとすると難しいですが、そういう情報共有という考え方は必要だと思います。何より私は大学入試科目ではないというのがネックだと思います。入試科目に乗っかれば、全てが変わって行くのではと思っています。
高校教員:教材が共有できることが大事というお話でしたが、教員が校内でFacebookを使うことも禁止されている学校もあります。教員の研究会があっても、皆忙しいのでどんどん人数が減っていったり、集まるのがなかなか大変だったりという現状があります。だから学会で、ネット上でいいので、共有するための仕掛けとかネットワークを提供してもらえるとありがたいです。学会主催のそういうサイトで、意見を交換したり、自由にいろいろな教材を探したりできればすごくありがたいと思います。
高校教員:学会が教材を提供するというと、何かハードルが高くなるような気がしますが、我々が実際に欲しいのは、ちょっとしたプリントやクイズなど、結構日常的なネタなんです。ちょっとしたネタで授業がよくなる、というようなネタを結構持っていて、それを気軽にシェアできる、ということができるとよいと思います。
大学教員:今のコンピュータは完全にブラックボックス化して、どこで何が行われているか全くわからない。スマホやタブレットにしても、中で何がおきているかわからないまま使っているのです。そういったものの仕組みがわかるような教材やカリキュラムが、ぜひほしいです。
■学会は何をすべきか
中野先生:最後に、まさに学会が今何をすべきかということで、締めをお願いしたいと思います。
久野先生:情報処理学会の中でも、教育の問題に熱心に取り組んでいるのは本当に一握りなのです。ほとんどの人は研究や開発が中心で、リソースは十分ではありません。ここはぜひ多くの方々に、私たちと一緒に活動できるように学会員になっていただき、この輪を広げていければ、と。そういう思いで今日のお話を聞きました。私たちの活動についていろいろ厳しいお言葉もいただきましたが、そういうことも真摯に受け止めた上で、これからも前向きに働きかけていきたいと思っています。
西田先生:やはり、学会はハードルが高いと思われるところをどれだけ下げていけるかが課題だと思います。今回の全国大会では、スマホのアプリを活用したりするのですが、そういう仕掛けや仕組みをうまく作りながら、パッと見た印象なんかをもっと柔らかくして、「ここでなら何を出しても大丈夫そうだ」という場を作っていけるようにしたいと思います。
田中先生:実際の現場のことは先生の方がよくご存知ですが、私の印象として、情報の先生は他の教科に比べてものすごくレベルが高いと思います。具体的な教科が何とは申しませんが、先生の数はすごく多いのに、そもそも学会というものに参加しようとする人がいないところもあります。そのことを思えば、情報科の先生方の意識は非常に高いと私は思います。
加藤先生:今の話の通りで、今まである教科というのは、ある意味完成状態なのですね。指導書もきちっとしているし、学会やシンポジウムなんかに行かなくても、授業のやり方くらいはわかっているということです。逆に言えば、情報科というのは全然そういうことがなされていないので、高校の先生はいろいろなところを自分から求めて行かなければならないということですよね。特に『情報の科学』については、大学の上位科目とのつながりをもっときちっとやれるのではないかと思います。特に大学入試科目として歩んでいくとすれば、それは不可欠なことです。
先ほど言われていた高大連携という点もまだまだです。数学や英語など、大学入試科目になっているものは高大連携が実現できているのですが、教材開発も含めて情報科ももう少し高大連携が行われたら、と思います。大学の教材を高校に持ってくる、高校で求めるものを大学にぶつける、ということですね。なにより、夢とかロマンが語れるような美しい教材の手掛かりをいただけばありがたいと思います。
それから、文科省がアクティブラーニングとかICTの活用のようなことでずいぶん動いていますが、ひょっとしたら将来、物理と数学と情報が合併するような教科ができたり、大学入試でコンピュータを使って分析をして答えを出すようなものが出てきたり、そんな時代が来るかもしれない、またそういう時代になって欲しいと思います。情報という教科を50年先、100年先に物理や数学に匹敵する教科に育てていくために今がある、そう思っています。
田邊先生:私からは3つ情報処理学会にお願いしたいことがあります。
1つ目は、情報処理学会として情報教育のカリキュラムを再構築しようじゃないかと声を上げていただきたい。2つ目は、先ほどもちょっと話題になりましたが、教材を共有していく仕組み、言って見れば教材のリソースセンターのようなものが必要だという声を上げていただければと思います。
3つ目は、これから先「アダプティブ・ラーニング(adaptive
learning)」の考え方が必要になってくると思うのです。教育に関わるビッグデータを解析する中から、一人ひとりの学習者に最適な学習を提供する仕組みとしてのアダプティブ・ラーニング提供システムというのが、これからビジネスとしてどんどん出て来るのは必至でしょう。それを「なんちゃってアダプティブ」にしないよう、情報処理学会がしっかりと理論的背景を含めて厳しい目を向け、見守っていただきたいと思っています。